せやせや!関西が好っきゃねん
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★いにしえの文化漂う播磨を探検

★いにしえの文化漂う播磨を探検

まいどまいど! 兵庫県の東南部に位置する加古郡の播磨町っちゅうことで、電車ではJR西日本山陽本線土山駅または山陽電車本線の播磨町駅が便利。 いにしえの文化漂う播磨町界隈では、大中遺跡やその遺跡に隣接する形で開館した兵庫県立考古博物館が名所。 特に大中遺跡は現在、大中遺跡公園として整備され、園内には弥生時代から古墳時代にかけて形成されたとされ、当時の生活を復元した竪穴住居も見学することができまんねん。 考古博物館は参加体験型博物館として知られ、地階では様々な遺物が収蔵された収蔵庫の見学、地上階では、大中遺跡など兵庫県内で調査、発掘された研究結果が展示されてまっせ。 ・・・兵庫県では遺跡の数は全国1位なんやとか。 ほんでそれに隣接して播磨町立郷土資料館も開館。 別府鉄道? なにやら鉄道ファン必見の名所も。 ほんでまた、兵庫県では新聞の父と呼ばれるジョセフ・ヒコさんの出身地。 日本初の新聞を発刊。 月刊「海外新聞」は、半紙約5枚を仮綴したもので、手書き後に活版印刷を用い、2年間で26号まで発行したことでも知られてまんねん。 これは、いっぺん、行ってみる価値がありまんな。

新聞の父 ジョセフ・ヒコの像
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新聞の父 ジョセフ・ヒコの像

1837年、彦太郎(ジョセフ彦)氏は兵庫県加古郡播磨町生まれ。 1850年、江戸から船で兵庫県加古郡播磨町に帰る途中、暴風雨に遭遇し、50日余り太平洋を漂流、米国商船に救われ、渡米した。 税関長サンダースによって米国教育を受け、カトリックの洗礼を受けた。 クリスチャンネーム「ジョセフ」を受け、ジョセフ彦と名乗り、米国籍を得た。 1859年、米国領事館の通訳として、ハリスとともに開国直後の日本に着任。 一旦、米国に帰国後、再来日し、日本初の新聞を発刊。 月刊「海外新聞」は、半紙約5枚を仮綴したもので、手書き後に活版印刷を用い、2年間で26号まで発行。 1897年まで、新生日本の発展に尽くした。

望海公園
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望海公園

公園内には大型複合遊具、健康遊具、バーベキュースペースも。 またはりまシーサイドドームが併設され、テニスやフットサル、グラウンドゴルフができる多目的ドームがある。

古宮砲台場跡
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古宮砲台場跡

1700年代、鎖国状態の日本に対し通商を求める露国(ソビエト連邦共和国)や米国など欧米諸国の異国船の出現が頻繁になり、幕末の世論が「攘夷か開国か」で沸騰するなか、幕府は海岸に大砲を備えるなどして防備を厳重にした。 1825年、外国船打払令を出して、あくまでも鎖国を守ろうとした。 1850年、幕府の命により姫路藩も家島、室津に砲台を築いた。 1863年、飾磨、福泊(的形)、高砂、古宮に砲台場を築いた。 当地は姫路藩の東端に位置し、大阪湾を経て姫路領沿海に近づこうとする異国船を発見すれば大砲で威嚇する一方、姫路城に急を知らせるために設置されたもので、三門の大砲を備え、藩士によりこれを守らせた。

ジョセフ・ヒコの生家跡
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ジョセフ・ヒコの生家跡

1837年、彦太郎(ジョセフ彦)氏は兵庫県加古郡播磨町生まれ。 1850年、江戸から船で兵庫県加古郡播磨町に帰る途中、暴風雨に遭遇し、50日余り太平洋を漂流、米国商船に救われ、渡米した。 税関長サンダースによって米国教育を受け、カトリックの洗礼を受けた。 クリスチャンネーム「ジョセフ」を受け、ジョセフ彦と名乗り、米国籍を得た。 1859年、米国領事館の通訳として、ハリスとともに開国直後の日本に着任。 一旦、米国に帰国後、再来日し、日本初の新聞を発刊。 月刊「海外新聞」は、半紙約5枚を仮綴したもので、手書き後に活版印刷を用い、2年間で26号まで発行。 1897年まで、新生日本の発展に尽くした。

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