せやせや!関西が好っきゃねん
せやせや!関西が好っきゃねん

プランにスポットを追加しました

京都で散策する長州藩の足跡

京都で散策する長州藩の足跡

まいどまいど! 京都では今も薩摩藩や長州藩などの歴史が語り継がれ、中京区を走る京都市交通局の京都市役所前付近では京都市役所があり京都の中心部である一方、目の前にそびえたつホテルには桂小五郎(木戸孝允)、長州藩屋敷址などの石碑が立ち並び、歴史ファンを魅了する。 またその跡地はかつて常磐ホテルであったといい、ホテルオークラの前身にあたるとか。 京都市街地を南北に流れる高瀬川は道行く観光客に癒しを与え、景色の一部の中に溶け込んではりまんな。 ただし、この高瀬川も実は人の手によって開削され、今もその偉業が語り継がれてまんねん。 名を角倉了以。 当時は京都の豪商として知られ、高瀬川以外にも富士川、天竜川、庄内川など、開削に携わった人物でんな。 そんな角倉氏の邸宅の一部であった別宅が残り、レストランとして営業してまんねん。 その近くには京都を代表する企業・島津製作所の本社ビルもおまっせ。 本社ビルの一部では創業当時のままの姿を保存している社屋がおまして、見学することもできまんねん。 京都の下町もおもろい。 皆さんもぶらぶら歩ていてみまへんか。

寮病院址
J

寮病院址

1872年、京都府立医科大学附属病院の前身にあたる療病院が創設。 蘭学医の明石博高らが中心となって資金を募った。 木屋町二条に仮病院を開設し、ドイツ人医師らによる診療を開始。 青蓮院に移転し、診療と医学教育を開始。 仮病院から本院に発展し,河原町広小路に開院。 1903年,京都府立医学校が京都府立専門学校(京都府立医科大学)に改編された際、附属病院となった。

島津製作所創業碑
L

島津製作所創業碑

1875年、初代島津源蔵氏により島津製作所を設立。 初代島津源蔵氏は京都府京都市生まれ。 1895年、日露戦争の日本海海戦で三六式無線電信機にも使用された蓄電池の製造を開始。 1975年、創業100周年を記念して島津創業記念資料館を開設。 医療用X線装置、分光写真器、電子顕微鏡、ガスクロマトグラフ、生体磁気計測装置など数多くの日本初、直接変換方式フラットパネル検出器を搭載したX線診断装置などの世界初を生み出した。

島津創業記念資料館
M

島津創業記念資料館

1975年、精密機器、計測器、医療機器、航空機器を製造する島津製作所は創業100周年を記念して企業博物館として開館。 施設内では、創業者で初代島津源蔵氏に関する資料の展示や住居・研究所として使用していた建物を保存・公開している。 その他、ソフトレーザーによる質量分析技術の開発により学士で唯一のノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏に関連する資料も展示・公開している。 1888年に南棟、1894年に北棟が建設され、国の登録有形文化財に指定。

角倉了以別邸跡
N

角倉了以別邸跡

江戸時代に活躍した豪商・角倉了以。 1554年、近江国愛知郡吉田村(滋賀県犬上郡豊郷町)生まれ。 室町幕府お抱えの医者として務め、医業で得た財を元に土倉を営んだ。 「角倉」は運営していた土倉の名前の一つから取られたという。 朱印船貿易の開始とともに安南国との貿易を開始。 江戸時代、京都の山城の大堰川、高瀬川は私財を投じて開削。 その他、富士川、天竜川、庄内川などの開削を行い、琵琶湖疏水の設計者・田辺朔郎と共に「水運の父」と呼ばれた。 角倉家の本姓は吉田氏といい、佐々木氏の分家。 日本酒の酒蔵である岡村本家を経営する岡村家は角倉家の一族であるとか。

ご利用のブラウザでは正しく画面が表示されない、もしくは一部の機能が使えない可能性がございます。以下の推奨環境でご利用ください。

推奨環境:Google Chrome 最新版、Safari 最新版