小柳 恵一
小柳 恵一

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古事記を巡る旅

古事記  現代語譯古事記
稗田の阿禮、太の安萬侶  武田祐吉訳

古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳

古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳

神武天皇上陸之聖跡碑 遺構

神武天皇上陸之聖跡碑 遺構

13. 熊野村     古事記には、熊野とだけあり、どの辺に上陸したかは明記されていません。 古事記によると、 “カムヤマトイハレ彦の命は、その土地から𢌞つておいでになつて、熊野においでになつた時に、大きな熊がぼうつと現れて、消えてしまいました” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳

熊野本宮大社

熊野本宮大社

14. 熊野村から吉野川下流(五條市)へ        熊野村から吉野河の下流に到るまで古事記はどのような道を辿ったかは全く触れていません。    しかし、当時は、険しい道を川ぞいに吉野の下流、つまり五條市まで川舟を利用しながら歩いたと想定してドライブを楽しみました。    つまり、勝浦港->那智に立ち寄り、その後、新宮川へ出て川を上り、現在の熊野速玉大社を経て、今ある熊野本宮大社を抜け、現在の十津川村を通り険しいを川伝いに登ったと想像しています。    川に沿って険しいを山々を抜けて、現在の谷瀬の吊り橋あたりを小舟で下っていった。そして、吉野川の下流である現在の五條市に着く。

那智の滝

那智の滝

那智の滝

熊野速玉大社

熊野速玉大社

熊野速玉大社

十津川村

十津川村

十津川村 後の明治維新まで十津川村の人々が御所をお守り続けた理由が、この行軍から始まっていると想像するのもまた面白い。

谷瀬の吊り橋

谷瀬の吊り橋

谷瀬の吊り橋

八咫烏神社

八咫烏神社

15. 宇陀へ         五條市から、現在の伊勢街道を抜けて宇陀へ。ここで大和を支配するまでの戦いが繰り広がれます。八咫烏神社や血原、そして伊那佐山があります。     古事記から熊野から宇陀までの道順を古事記から推定すると、 吉野川の下流 = 五條市 阿陀 = 五條市 吉野の國栖 = 吉野市、宮滝遺跡 ウダ = 宇陀市 古事記によると、 “天の神の御子よ、ーーーその八咫烏が導きするでしようからーーー吉野河の下流(五條市)に到りーーー阿陀(五條市)の鵜飼の祖先ーーー吉野の國栖(吉野市、宮滝遺跡)ーーーそれから山坂を蹈み穿つて越えてウダ(宇陀)にーーー宇陀のウガチと言いますーーー

八咫烏神社

八咫烏神社

宇陀の八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)からの眺め。 カムヤマトイハレ彦の命一行が、熊野から山坂を蹈み穿つて越えてウダに到達した風景を思わせる眺めです。八咫烏神社の東に伸びる参道を見下ろした写真です。 また、カムヤマトイハレ彦の命(神武天皇)が、宇陀での戦いで詠んだ歌にある伊那佐山に向かって山道が伸びている。この山に盾を並べて射る、と歌っていると、古事記にあります。 古事記によると、 “それから山坂を蹈み穿つて越えてウダにおいでになりました。依つて宇陀のウガチと言います。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳

宮滝遺跡

宮滝遺跡

15. 宇陀へ      古事記から熊野から宇陀までの道順を古事記から推定した経路で、 吉野の國栖 = 吉野市の宮滝遺跡で神武天皇が仮宮を建てた、との話があります。

. 神武天皇東征 忍阪の大室(おさかのおおむろ)

. 神武天皇東征 忍阪の大室(おさかのおおむろ)

16. 忍坂の大室(おさかのおおむろ)         カムヤマトイハレ彦の命が、宇陀で勝利を得た後、忍坂の大室へ移動し、そこに住む穴居に住む80人の武士を騙し討ちしています。 古事記抜粋によると、 “次に、忍坂の大室においでになつた時に、尾のある穴居の人八十人の武士がその室にあつて威張つております。そこで天の神の御子の御命令でお料理を賜わり、八十人の武士に當てて八十人の料理人を用意して、その人毎に大刀を佩かして、その料理人どもに「歌を聞いたならば一緒に立つて武士を斬れ」とお教えなさいました。” その後、ナガスネ彦を殺害することにより大和を手中に治めた、との事。

橿原神宮

橿原神宮

17. 橿原宮       古事記によると、“畝傍の橿原の宮において天下をお治めになりました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳  現在、橿原神宮があります。

石上神宮

石上神宮

18. フツノミタマ(布都御魂)を奉納した石上神宮       熊野山中で危機に陥った時、カムヤマトイハレ彦の命へ持参された剣がフツノミタマ。それが石上神宮に奉納されている。 古事記抜粋: “タカクラジという者が一つの大刀をもつて天の神の御子の臥しておいでになる處に來て奉る時に、お寤めになつて、「隨分寢たことだつた」と仰せられました。その大刀をお受け取りなさいました時に、熊野の山の惡い神たちが自然に皆切り仆されて、・・・省略・・・この大刀を取つて天の神の御子に奉れとお教えなさいました。そこで夢の教えのままに、朝早く倉を見ますとほんとうに大刀がありました。依つてこの大刀を奉るのです」”

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