せやせや!関西が好っきゃねん
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浪花の中心地・船場界隈をぶらぶら

浪花の中心地・船場界隈をぶらぶら

まいどまいど! 西日本の最大の経済の中心地といえば、大阪府。 その大阪府の中心地は今も昔も「船場」って、言われてはりまんな。 かつては、船着場として栄えたことから名付けられたという船場は江戸時代、天下の台所として大いににぎわい、当時は多くの川が張り巡らされ、多くの舟が行き交うてはりました。 船場の北側を北船場、南側を南船場と呼び、今も中心地として発展し続けてまんねん。 今の大阪の繁華街を指す「キタ」と「ミナミ」。 キタは、大阪駅・梅田駅を中心とした界隈を指し、ミナミは心斎橋駅・難波駅を中心とした界隈を指してまんねん。 せやけど、元々は、北船場の「北」と南船場の「南」が語源となっていることを皆さんは知ってはりまっか? そんな船場では、船場センタービルを中心に船場繊維問屋街をはじめ、多くの商店が立ち並び、多くのビルが乱立してまんねん。 そんな中で、今も昔も変わらないモダニズム建築が原形をとどめている他、最近、テレビやラジオ、インターネットで取り上げられている今話題のお店や流行の最先端のお店の最新情報などを掲載! 船場界隈がもっと面白くなる、そんなお出かけプランでおまっせ。

大阪書籍館跡
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大阪書籍館跡

1876年、大阪府立中之島図書館の前身にあたる大阪書籍館が設置された。 大阪書籍館は中央区今橋4丁目と南船場1丁目に設立された2施設を統合したもの。 後の愛日小学校と後の渥美小学校に付設して開館し、この二館が合併。 後の芦池小学校に付設した書籍館が常安町に移転した。

順慶町の夕市
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順慶町の夕市

大阪市内を東西に通る博労町通の一筋南は順慶町通と呼ばれている。 町名や通りの由来ともなっている順慶町という名は、豊臣秀吉より拝領した戦国大名の筒井順慶に因む。 江戸時代、御堂筋以西は浄国寺町、初瀬町と呼ばれていた。 付近には新町遊郭があり、多くの人で行き交い、夕市は大いに賑わっていたという。 1982年、住居表示変更時に、旧町名、順慶町・安堂寺橋・塩町を併せて南船場と改称された。

佐野屋橋跡
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佐野屋橋跡

江戸時代、京都の伏見から移住した町人の三栖清兵衛、池田屋次郎兵衛、伊丹屋平右衛門、岡田新三らが中心となって長堀川を開削した。 長堀川は東横堀川の末吉橋下流より分流し、西に向かって流れて木津川の伯楽橋下流に注いでいた。 長堀川に架かる橋の一つに数えられた佐野屋橋は、江戸時代に活躍した豪商の佐野屋弥平によって架けられたとか。 当時、佐野屋橋の周辺には石屋が密集し、各地の名石や石灯籠、石鳥居、石臼などが山積みされ、石屋浜と呼ばれていた。また西には大坂屋銅吹所、大坂屋の浜と呼ばれて長堀川東端の住友銅吹所とともに銅生産が盛んであった。 1964年、長堀川が埋め立てられ、撤去された。

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