契沖生誕の比定地
兵庫県尼崎市北城内27真言宗の僧、古典学者(国学者)として活躍した契沖。
1640年、当地付近で生まれた。
釈契沖とも。
俗姓は下川氏、字は空心。
祖父・下川元宜は加藤清正の家臣であったが、父・元全は尼崎藩士から牢人(浪人)となり、8人の子は出家または養子となった。
契沖は、大阪市東成区大今里にある妙法寺の丯定に学び、高野山で阿闍梨の位を得る。
大阪市天王寺区の曼陀羅院の住持となり、その間に下河辺長流と交流し学問的な示唆を受けたが、高野山に戻る。
大阪府和泉市の辻森吉行や伏屋重賢のもとで、仏典、漢籍や日本の古典を数多く読み、悉曇研究も行った。
妙法寺住持分となった後、晩年は大阪市天王寺区の円珠庵で過ごした。