松陰寺
静岡県沼津市原128臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である白隠慧鶴(はくいん えかく、1686年1月19日(貞享2年12月25日) - 1769年1月18日(明和5年12月11日))のお墓がある。原宿にあった長沢家の三男として生まれている。各地で修行ののち地元に戻り布教を続け、曹洞宗と比較して衰退していた臨済宗を復興させた事で有名。「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで謳われた、との事。
臨済宗十四派は全て白隠を中興としているため、彼の著した「坐禅和讃」を坐禅の折に読誦しているとの事。
白隠慧鶴が描く絵が面白い。