お気に入りに追加 お気に入りを外す
東大寺と並ぶ奈良のランドマーク、興福寺。 京都・山科に建立された藤原鎌足の私邸「山階寺」を前身とし、飛鳥を経て和銅3年(710年)、平城遷都に伴い藤原不比等によってこの地に遷されました。以降は、藤原氏の氏寺としておおいに栄えたと言います。 平成30年に落慶したばかりの”中金堂”は、過去に7度の火災に遭い1717年焼失。ナント、300年ぶりに復興されたのだとか。興福寺の伽藍の中でも中心的役割を持つ堂宇は荘厳な雰囲気を放っています。ご本尊は釈迦如来。四方を守る四天王(広目天、多聞天、増長天、持国天)は、鎌倉時代に運慶らが率いた工房の作品で国宝です。
2020年1月20日
天智、天武、持統、文武の時代、飛鳥四大寺は、蘇我氏鎮魂の為の飛鳥寺、国家安泰を祈る大官大寺、天智天皇と天武天皇の母親である斉明天皇の霊を祀る川原寺(引徳寺こうとくじ)、そして天武天皇と持統天皇の愛の結晶である薬師如来を祀る本薬師寺からなっている。
平城京への遷都で最後まで遷都を拒んだ唯一の寺であった飛鳥寺のみ藤原京の地にる。
平城京には本薬師寺は天武と持統天皇の血を引く者が天皇であり続けるシンボルとして残る。
大官大寺は渋々と遷都に応じ、名を大安寺として小さく平城京に残る。
川原寺は、藤原氏の氏寺である興福寺として平城京遷都は藤原氏による仏教支配を進めるための戦略が見え隠れして面白い。
2019年9月11日
2019年5月1日
スポット情報に誤りがある場合や、移転・閉店している場合は、こちらのフォームよりご報告いただけると幸いです。
ご報告いただきありがとうございます。 お送りいただいた内容は、スタッフが確認次第なるべく早く対応いたします。
送信に失敗しました。 お手数ですが、時間をおいて再度お試しください。
ログイン
Facebookでログイン
パスワードを忘れた方は こちら
初めての方は ユーザー登録 をしてください
ご利用のブラウザでは正しく画面が表示されない、もしくは一部の機能が使えない可能性がございます。以下の推奨環境でご利用ください。
推奨環境:Google Chrome 最新版、Safari 最新版
東大寺と並ぶ奈良のランドマーク、興福寺。
京都・山科に建立された藤原鎌足の私邸「山階寺」を前身とし、飛鳥を経て和銅3年(710年)、平城遷都に伴い藤原不比等によってこの地に遷されました。以降は、藤原氏の氏寺としておおいに栄えたと言います。
平成30年に落慶したばかりの”中金堂”は、過去に7度の火災に遭い1717年焼失。ナント、300年ぶりに復興されたのだとか。興福寺の伽藍の中でも中心的役割を持つ堂宇は荘厳な雰囲気を放っています。ご本尊は釈迦如来。四方を守る四天王(広目天、多聞天、増長天、持国天)は、鎌倉時代に運慶らが率いた工房の作品で国宝です。
2020年1月20日
天智、天武、持統、文武の時代、飛鳥四大寺は、蘇我氏鎮魂の為の飛鳥寺、国家安泰を祈る大官大寺、天智天皇と天武天皇の母親である斉明天皇の霊を祀る川原寺(引徳寺こうとくじ)、そして天武天皇と持統天皇の愛の結晶である薬師如来を祀る本薬師寺からなっている。
平城京への遷都で最後まで遷都を拒んだ唯一の寺であった飛鳥寺のみ藤原京の地にる。
平城京には本薬師寺は天武と持統天皇の血を引く者が天皇であり続けるシンボルとして残る。
大官大寺は渋々と遷都に応じ、名を大安寺として小さく平城京に残る。
川原寺は、藤原氏の氏寺である興福寺として平城京遷都は藤原氏による仏教支配を進めるための戦略が見え隠れして面白い。
2019年9月11日
2019年5月1日