榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承地
大阪府大阪市城東区野江4丁目1-28京都法勝寺修正会に参加する猿楽には3座ある。
そのうち、丹波矢田郷(亀岡市内)は、本座、榎並を新座と称した。
榎並猿楽はこの付近に座を構え、住吉神社の御田植神事に奉納した。
室町時代、大和猿楽に移り衰退する。
榎並城は、淀川・旧大和川・池などに三方を囲まれた天然の外堀を持つ堅城であった。
1368年、楠木正成の子である正義も、ここに在陣した。
戦国時代、細川氏の内紛で摂津各所では内乱が頻発していた。
1549年、三好長慶は、柴島城による細川春賢・三好長政を攻めた。
長政は、江口の里に出陣し、十河一存(柴島城)らに攻められ、長政は戦死した。