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米どころでもある宜蘭県は、今でも多くの田んぼを見ることが出来ます。 そんな農業地域であるこの地域に、約100年前「農民信用組合」が組織され、この「二結穀倉稲農文化館」は、その事務所として1928年に造られ、1935年には「米倉庫」と「精米所」が増築されました。 日本統治時代の当時、精米されたお米は、台湾全土はもちろん、日本本土、南洋へも輸出をしていたそうです。 その後、農業が減退と建物の老朽化、さらに台風による屋根の被害のため、この建物は1983年に引退、保存され、2011年にリノベーションを終えると「二結穀倉稲農文化館」として一般開放されました。 水曜日休館、要入場料
2022年7月9日
二結穀倉稲農文化館より約990m(徒歩17分)
2012年にオープンした「台湾碗盤博物館」は台湾唯一の「お椀」や「お皿」...
二結穀倉稲農文化館より約1310m(徒歩22分)
「中興文化創意園区」の前身は、日本統治時代に日本大手製紙会社の投資により...
二結穀倉稲農文化館より約1710m(徒歩29分)
「玉兎鉛筆」は、台湾を代表する3つの鉛筆生産会社の1つ。 1947年創立...
営業中9:00~17:00
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米どころでもある宜蘭県は、今でも多くの田んぼを見ることが出来ます。
そんな農業地域であるこの地域に、約100年前「農民信用組合」が組織され、この「二結穀倉稲農文化館」は、その事務所として1928年に造られ、1935年には「米倉庫」と「精米所」が増築されました。
日本統治時代の当時、精米されたお米は、台湾全土はもちろん、日本本土、南洋へも輸出をしていたそうです。
その後、農業が減退と建物の老朽化、さらに台風による屋根の被害のため、この建物は1983年に引退、保存され、2011年にリノベーションを終えると「二結穀倉稲農文化館」として一般開放されました。
水曜日休館、要入場料
2022年7月9日