北端郷惣会所
大阪府堺市堺区櫛屋町東3丁1-41614年と1615年に勃発した大坂の陣の戦火により町は焼失後、区画再編「元和の町割」により復興。
東西幹線の大小路(摂泉国境)で南北に分けて、さらに本郷と端郷に分けた。
北本郷・北端郷・南本郷・南端郷という4区分で、「四辻」と称した。
1693年、本郷と端郷の区分を廃し、北組102町、南組76町の南北二組制となった。
四辻では、南北両本郷とも浜筋・本町・付町・百姓町の4組、北端郷が中浜筋・山口筋・東筋の3組、南端郷が本町・付町の2組、計13の組合を形成したが、南北二組制では南北両組とも浜筋・中浜筋・大道筋・山口筋・東筋・農人町筋の6組、計12の組合に再編。