大物くずれの戦跡碑
兵庫県尼崎市東大物町1丁目4別名、天王寺の戦い、天王寺崩れ。
1531年、戦が勃発。
桂川原の戦いで赤松政祐・細川晴元・三好元長の連合軍が、細川高国・浦上村宗の連合軍を破った。
近江に逃れた管領細川高国は、伊賀、伊勢、備中、出雲を巡り、備前守護代の浦上村宗が要請に応じた。
1530年、播磨統一を成し遂げ、高国の宿願を果たすため、摂津へ侵攻、池田久宗(信正)が守備する池田城を陥落、京都を警護していた晴元派の木沢長政が撤退、将軍地蔵山城の高国の兵が京に侵攻、京を奪回。
堺公方側は、三好元長を総大将に阿波から堺に上陸した細川持隆の援軍が摂津中嶋に陣取った細川・浦上連合軍を攻撃(中嶋の戦い)一進一退の攻防が続く。