三軒家公園
大阪府大阪市大正区三軒家東2丁目12江戸時代初期、姫島と呼ばれ、家が三軒しかなかったことから、地名として三軒家と名付けられた。
また、三角州が点在する河口であったが、新田開発により、ほぼ現在の形になった。
1883年、大阪紡績会社が英国より日本初となる蒸気式の紡績機の輸入後、大阪は日本一の紡績工業都市となり、「東洋のマンチェスター」とも呼ばれた。
また、現在の長堀通り沿いにあった材木市場が手狭になり、千島や小林に大きな貯木場が作られた。
鶴町には自動車工場、船町には製鉄所や造船所が作られた。
これにより、近郊農村は阪神工業地帯の重工業集積地に姿を変えたと言う。
現在、大阪紡績から社名を変更し、東洋紡績となっている。