お気に入りに追加お気に入りを外す
平安時代の女流日記「蜻蛉日記」の著者である藤原道綱母が居住。 954年から974年の間で起きた出来事が書かれ、上中下の三巻より構成。 題名は日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」より。 藤原兼家の妻となり子・道綱を授かる。 兼家の旧妻・源兼忠女の娘を引き取り、養女に。 道綱は平安時代、従五位下に叙爵、武官の右馬助・左衛門佐・左近衛少将を歴任。 花山天皇を出家・退位させた寛和の変では長兄・道隆と共に清涼殿から三種の神器を運び出し、父・兼家の摂政就任に貢献。 中納言、大納言と昇進。
2021年6月27日
スポット情報に誤りがある場合や、移転・閉店している場合は、こちらのフォームよりご報告いただけると幸いです。
ご報告いただきありがとうございます。 お送りいただいた内容は、スタッフが確認次第なるべく早く対応いたします。
送信に失敗しました。 お手数ですが、時間をおいて再度お試しください。
ログイン
Facebookでログイン
パスワードを忘れた方はこちら
初めての方は ユーザー登録をしてください
ご利用のブラウザでは正しく画面が表示されない、もしくは一部の機能が使えない可能性がございます。以下の推奨環境でご利用ください。
推奨環境:Google Chrome 最新版、Safari 最新版
平安時代の女流日記「蜻蛉日記」の著者である藤原道綱母が居住。
954年から974年の間で起きた出来事が書かれ、上中下の三巻より構成。
題名は日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」より。
藤原兼家の妻となり子・道綱を授かる。
兼家の旧妻・源兼忠女の娘を引き取り、養女に。
道綱は平安時代、従五位下に叙爵、武官の右馬助・左衛門佐・左近衛少将を歴任。
花山天皇を出家・退位させた寛和の変では長兄・道隆と共に清涼殿から三種の神器を運び出し、父・兼家の摂政就任に貢献。
中納言、大納言と昇進。
2021年6月27日