法隆寺東院伝法堂
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1藤原不比等の妻であり、聖武天皇のお后である光明皇后の母でもある橘三千代の邸宅を移設したと言われている。
藤原氏の血を濃く引く天皇家の人々が、737年に相次いで死んだ藤原四兄弟の出来事が、聖武天皇はじめ親族が恐怖を感じたと言われる。つまり、蘇我氏一族の血を引く皇族に関わる祟りと恐れたと言われる。つまり、聖徳太子一族の皆殺しの祟りだと恐れた。その鎮魂のために光明皇后が夢殿をそしてその北に母親であり藤原不比等の妻である橘千代の建物で囲うように移設したと言われている。夢殿は呪詛を得意とする行信に建てさせ、その行信が聖徳太子の鎮魂のために聖霊会を行ったのが現在も行われている。(梅原猛「塔」より)