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粟原寺(おうはらてら)跡 中臣朝臣大嶋が持統天皇の亡き草壁皇太子のために発願した寺との銘文が残されている。中臣朝臣大嶋は伊勢神宮内宮の初代祭主であった人であり、藤原家、つまり中臣家の鎌足から不比等への大切な橋渡をした重要な人物であり、古事記にある祝詞の確立に大きく関わった人物でもある。その残された銘文に記されている夫の発願を受けて21年の歳月をかけてこの寺を建てた比売朝臣額田は、晩年の額田王であるとの説がある。つまり、額田王の最後の夫が中臣朝臣大嶋である可能性があるとのこと。梅原猛の作品「塔」による。
2019年10月28日
粟原寺跡より約1820m(徒歩31分)
五、雄略(ゆうりゃく)天皇 后妃と皇子女 古事記によると、 “オホハ...
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粟原寺(おうはらてら)跡
中臣朝臣大嶋が持統天皇の亡き草壁皇太子のために発願した寺との銘文が残されている。中臣朝臣大嶋は伊勢神宮内宮の初代祭主であった人であり、藤原家、つまり中臣家の鎌足から不比等への大切な橋渡をした重要な人物であり、古事記にある祝詞の確立に大きく関わった人物でもある。その残された銘文に記されている夫の発願を受けて21年の歳月をかけてこの寺を建てた比売朝臣額田は、晩年の額田王であるとの説がある。つまり、額田王の最後の夫が中臣朝臣大嶋である可能性があるとのこと。梅原猛の作品「塔」による。
2019年10月28日
2019年10月28日