姫路藩2代藩主 酒井忠以
兵庫県姫路市本町83江戸時代、雅楽頭系酒井家15代、播磨姫路藩第2代藩主として活躍。
1756年、姫路藩世嗣・酒井忠仰の長男。
江戸生まれ。
弟は江戸琳派の絵師・忠因(酒井抱一)。
父が病弱であったため、祖父・忠恭の養嗣子となり、18歳で姫路藩の家督を継いだ。
絵画、茶道、能に優れ、日光東照宮修復を命じられた縁がきっかけで出雲松江藩主の松平治郷と親交を深めた。
姫路藩と松江藩の参勤行列が行き交う際、石州流茶道の手ほどきを受け、石州流茶道皆伝を受け将来は流派を担うとも。
大和郡山藩主の柳沢保光も茶道仲間。
宋紫石・紫山親子から南蘋派を学び、「兎図」「富士山図」等の作品を残した。