勝海舟寓居跡・海軍塾(専称寺)
大阪府大阪市中央区淡路町3丁目2-131862年、勝海舟は軍艦奉行並に就任し、軍艦順動丸で天保山(大阪市港区)に上陸。
寓居先は、順正寺(大阪市福島区)。
神戸海軍操練所(兵庫県神戸市)は勝海舟が江戸幕府の徳川家茂に進言して1864年に実現。
勝海舟は海軍操練所が完成するまでの間、当地の専称寺に住み、私塾「海軍塾」を開いた。
塾頭は、勝海舟の一番弟子で庄内藩士の佐藤与之助。
坂本龍馬は福井の松平春嶽へ出向き、神戸海軍操練所を建設するための費用の援助を求めた。
しかし、1864年に起きた池田屋事件や禁門の変に海軍塾の塾生がいたことで、勝海舟は江戸に召還されて軍艦奉行職を辞任。
同時に私塾の海軍塾と神戸海軍操練所も閉鎖。