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1868年、フランス海軍のコルベット艦「デュプレクス」は、駐兵庫フランス副領事M・ヴィヨーと臨時支那日本艦隊司令官ロアら一行を迎えるべく堺港に入り、同時に港内の測量を行った。 士官以下数十名のフランス水兵が上陸して市内で遊んでいたが、夕刻、近隣住民の苦情を受け、六番隊警備隊長箕浦元章(猪之吉)、八番隊警備隊長西村氏同(佐平次)らは仏水兵に帰艦を諭示させたが言葉が通じず、土佐藩兵は仏水兵の捕縛を試みた。 仏水兵側は土佐藩の隊旗を奪って逃亡し、土佐藩兵側は発砲。 双方銃撃戦の末、仏水兵を射殺、溺死させ、遺体は16日に引き渡した。
2019年6月15日
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1868年、フランス海軍のコルベット艦「デュプレクス」は、駐兵庫フランス副領事M・ヴィヨーと臨時支那日本艦隊司令官ロアら一行を迎えるべく堺港に入り、同時に港内の測量を行った。
士官以下数十名のフランス水兵が上陸して市内で遊んでいたが、夕刻、近隣住民の苦情を受け、六番隊警備隊長箕浦元章(猪之吉)、八番隊警備隊長西村氏同(佐平次)らは仏水兵に帰艦を諭示させたが言葉が通じず、土佐藩兵は仏水兵の捕縛を試みた。
仏水兵側は土佐藩の隊旗を奪って逃亡し、土佐藩兵側は発砲。
双方銃撃戦の末、仏水兵を射殺、溺死させ、遺体は16日に引き渡した。
2019年6月15日