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治承4年(1180年) 10月21日、頼朝は退却する平家軍を追撃しそのまま上洛するよう命じるが、千葉常胤、三浦義澄、上総広常らが「常陸国の佐竹など東国には武勇に驕る者が多くあり、まずは東国を平定した後に西国へと進むべき。」と諌め了解る。頼朝はこれを受け入れ、黄瀬川に戻る。
同じく21日、頼朝に加勢するため、奥州藤原氏のもとにいた頼朝の弟・義経が頼朝のもとを訪れ、兄弟対面を果た。その 対面時に、二人が腰を掛けたのが、この対面石といわれている。
2021年3月13日
頼朝と義経が対面した石
清水町の八幡神社。治承四年(1180年)八月、平家追討の軍を起こした源頼朝が、関東・伊豆を平定し、十月に富士川の合戦でこの黄瀬川八幡の地に本営を造営した場所。
2021年3月11日
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治承4年(1180年) 10月21日、頼朝は退却する平家軍を追撃しそのまま上洛するよう命じるが、千葉常胤、三浦義澄、上総広常らが「常陸国の佐竹など東国には武勇に驕る者が多くあり、まずは東国を平定した後に西国へと進むべき。」と諌め了解る。頼朝はこれを受け入れ、黄瀬川に戻る。
同じく21日、頼朝に加勢するため、奥州藤原氏のもとにいた頼朝の弟・義経が頼朝のもとを訪れ、兄弟対面を果た。その 対面時に、二人が腰を掛けたのが、この対面石といわれている。
2021年3月13日
頼朝と義経が対面した石
清水町の八幡神社。治承四年(1180年)八月、平家追討の軍を起こした源頼朝が、関東・伊豆を平定し、十月に富士川の合戦でこの黄瀬川八幡の地に本営を造営した場所。
2021年3月11日