能褒野神社
三重県亀山市田村町女ヶ坂1409
ヤマトタケルの命のお墓
“三重の村においでになつた時に、また「わたしの足は、三重に曲つた餅のようになつて非常に疲れた」と仰せられました。そこでその地を三重といいます。
其處からおいでになつて、能煩野に行かれました時に、故郷をお思いになつてお歌いになりましたお歌、
大和は國の中の國だ。
重なり合つている青い垣、
山に圍まれている大和は美しいなあ。
(中略)
と歌い終つて、お隱れになりました。そこで急使を上せて朝廷に申し上げました。”
“ここに大和においでになるお妃たちまた御子たちが皆下つておいでになつて、御墓を作つてそのほとりの田に這い𢌞つてお泣きになつてお歌いになりました。”