源頼朝の墓
神奈川県鎌倉市西御門2丁目51147年、大阪府内に本拠地を置いた河内源氏の武将で源為義の長男にあたる義朝の三男。
尾張国愛知郡熱田(現在の名古屋市熱田区)の神宮大宮司・藤原季範の別邸(誓願寺)生まれ。
幼名は鬼武者、または鬼武丸。
1156年、父の義朝は保元の乱で、後白河天皇側で平清盛らと共に戦勝、崇徳上皇側の父の為義の助命を自身の戦功に替えて願うが許されず、父兄弟を斬首し左馬頭に任ぜられる。
1158年、頼朝は後白河天皇准母として立后した統子内親王の皇后宮権少進となり、統子内親王が院号宣下を受けると、上西門院蔵人に補される。