
天の川と七夕の伝説は大阪からはじまった
大阪天の川と七夕の伝説は大阪からはじまった
まいどまいど! 7月7日といえば、七夕の日でんな。 愛し合う織姫と彦星が一年に一度だけ会うことのできる貴重な一日。 笹の葉にかける短冊に願いを込めて夜空に飾るっちゅうことが日本では一般的やねんけど、その七夕伝説は、大阪にゆかりがあることを皆さんは、ご存知でっしゃろか? 大阪府の東部に位置する交野市と隣接する枚方市には、天野川(あまのがわ)と呼ばれる一級河川が流れ、本格的な夏になると周辺では、ぎょうさんのイベントが開催されまんねん。 その中の一つが七夕まつりで、毎年、ぎょうさんの人でにぎわってはりまんねや~。 天野川が流れる交野市では「逢合橋(あいあいばし)」や機物(はたもの)神社など、織姫と彦星にまつわる地名が点在し、交野が原と呼ばれる地域では星降る街として知られ、星にまつわる伝説が残ってまんねん。 大阪府の高石市では羽衣伝説(天女伝説)が有名ですが、交野市内を走るバスの停留所名「天の川」や「新天野川橋」など、夢とロマンに満ち溢れた!?大阪府交野市を散歩していきまひょ!
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京阪バスの「天の川」停留所。 大阪府交野市では七夕伝説ゆかりの地として知られ、市内には天野川が流れている。 その天野川に因み、市内には織姫と彦星に関する観光名所や伝説が残る。
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天空の天の川で7月7日に生まれた女の子。 七夕伝説の発祥地として知られ、市内中心部を天野川が流れる織姫ゆかりの地。
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とある七夕の夜に、七夕伝説ゆかりの交野市で七夕まつりが開催。 そのお祭りに興味を持ち、天の川からやってきた宇宙怪獣。
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大阪府交野市内にある商店街。 飲食店や雑貨店、病院などが立ち並ぶ。 天の川で知られる七夕伝説ゆかりのまちとして知られる。 駅前では、七夕伝説ゆかりの案内板が設置されている。
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大阪府交野市内に設置された案内板。 市内中心部を「天野川」が流れ、七夕伝説に登場する「織姫」、「牽牛」にまつわる地名や橋が架かる。 古くから星の降る町として知られ、星にまつわる神社が各地に鎮座する。 そんな「七夕伝説」ゆかりの交野市内の主な観光名所が掲載されている。
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大阪府交野市内を流れる天野川に架かる橋。
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大阪府交野市に建立された石碑。 かつて周辺には、農地が広がり、自然豊かな地域であった。 近年の都市開発により区画整理がなされ、街が発展した。 他にも、古代天野川地方条里区画一条通遺跡などがある。 その歴史を今に伝える。
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地域の公園として親しまれ、ブランコやシーソーが設置してある。 また、ベンチの横には、生駒石を使用した石碑が建立されている。
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和歌「狩り暮らし棚機(たなばた)つめに宿からむ 天の川原にわれは来にけり(在原業平、古今和歌集)
私市9丁目に位置する「水辺プラザ」内に建立。
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天の川 梶の音聞こゆ 彦星と 織女と 今夜逢ふらしも
天野川緑地公園内には、石碑が建立。 「天の川で 梶の音がしている 彦星と 織姫星とが 今夜逢っているらしい」と言う意味。
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「天の川遠き渡りになりにけり 交野の御野の五月雨の頃」(続後撰和歌集 藤原為家)
高速道路「第二京阪道路」をくぐると石碑が建立。 「天の川は増水のため、渡り場が遠くなった。現在、交野が原は五月雨の頃」と言う意味。
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「彦星と 織女と 今夜逢ふ 天の川門に 波立つなゆめ」(万葉集 作者不明)
逢合橋を越えた場所には、 「彦星と 織姫星とが 今夜逢う 天の川の渡り瀬に 波よ決して立つな」という意味。
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いかにも美味しそうな雰囲気が漂う。 行列のできる人気のお店らしく、店先には空席を待つお客さんの姿も。 メニューは、味噌煮込みうどん定食やかつ重が並ぶが、定番の「かつ辰定食」を注文してみた。 ご飯と野菜はお代わりOK。 店内は、カウンター席とテーブル席などがあり、予算は、一人~2000円程度。
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かつ辰定食
海老一本にロース100g、ヒレカツが一枚。 ゴマを擦って、ソースを投入。 ソースには、辛口や甘口ソースなどがあるので、好みに合わせて選ぶことができる。 衣は、自家製のパン粉を使用しているとのこと。 衣はサクッと、中はフワッと。 ロースはもち豚で、赤みが多く、柔らかいのが特徴。 定食では、三食皿があり、ソース味以外にも好みに合わせて、醤油味、塩味などが楽しめる。
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大阪府交野市にある総合体育施設。 屋外グラウンド等において各種競技スポーツ、屋内施設(アリーナ、プール、トレーニングルーム、スタジオ等)が楽しめる。 この他、会議室、お食事処等が完備。
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本格的な犬鳴豚を使用した交野名物大阪生餃子。
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創建時期など詳細は不明。 祭神は、天棚機比売大神、栲機千々比売神、地代主神、八重事代主神。 天棚機比売大神は、織姫にあたる。 400年代、大陸から渡来した漢人庄員によって、倉治の地は開かれた。 優れた文化を持った大陸人は歓迎され、織物をその専業とする者は、土地を与えられ、機織が盛んになった。 672年、大海人皇子は天武天皇となり、倉治機物の首長に交野忌寸の姓を与えられた。 その後、機織が盛んになった。 672年、天智天皇の子・弘文天皇と天智の弟・大海人皇子が対立したとき、大海人皇子に味方して戦勝。 皇子は天武天皇となり、倉治機物の首長に交野忌寸の姓を与えられた。
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棚機姫
大木の茂る参道そして、現在の神宮寺の東南に開元寺を建立。 機織を業とした帰化漢民族の祖先「漢人庄員」を祀っていた。 漢人庄員は、機織りの技術を伝えた。 平安時代、京都朝廷の人々が遊猟のため、狩りを楽しむ人が増え、詩歌を詠む行楽の地として栄えた。 その後、織女星すなわち棚機姫となって、現在に至る。
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交野八景の一つ。 かつて、交野の里には源氏姫と、弟・梅千代の2人が住んでいた。 源氏姫と梅千代は、付近で美しい・可愛いと評判であった。 源氏姫と梅千代は幼い頃に母と生き別れていた。 その頃、大和と河内の国境に「おろち山」という山が有り、そこに一団の盗賊が住んでいた。 女頭領率いるその一団は、時折、山を下りては交野の里に住む家々を襲い、略奪を繰り返していた。 ある日、盗賊によって源氏姫と梅千代は捕えられてしまう。 梅千代は、この時のショックでこの世を去った。 盗賊に連れて来られた源氏姫と梅千代を見た女頭領はその瞬間、息を呑んだ。 姫と弟は女頭領の生き別れた実の子供であったと言う。
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母との再会を果たすも
母は、捕えたときに縛っていた縄を解き、梅千代を抱きかかえながら、涙を流した。 そうとも知らない源氏姫はそのうろたえた女頭領の隙を見て、「弟の敵、思い知れ!」と女頭領を短刀で刺した。
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夜泣き石
女頭領は抵抗することもなく、「源氏姫、梅千代、許しておくれ」と涙を流しながら叫んだ。 源氏姫と梅千代は生き別れた実の子であり、「生き別れてから今までずっと会いたいと思っていた」と告げ、息絶えた。 源氏姫は、同日に弟と母を亡くしショックで泣き続けた。 涙が枯れた頃、姫は近くの滝から身を投げて親子は交野の里に還ったと言う。 源氏姫がその身を滝に投げてから、滝の岩が夜になると泣くとの伝説が残る。
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