真夏のひまわりと三日月と
兵庫真夏のひまわりと三日月と
まいどまいど! ホルモン焼うどんのまち・兵庫県佐用郡佐用町を訪れてみました。 西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線の佐用駅付近には昔ながらの雰囲気漂う商店街があり、佐用町名物の一つホルモン焼うどんの名店が点在してはりますねん。 かつてこの付近は宿場町として栄えていたといい、江戸時代の街並みが色濃く残ってはります。 少し離れた場所に位置する兵庫県立大学西はりま天文台では星のこと宇宙の事を詳しく知ることができ、望遠鏡からは星を眺めることもできまんねん。 そんな星の名所に因んでいるのか、興味深いのが「三日月」という地名。 大阪の枚方市と交野市には天野川という川が流れ、七夕伝説のゆかりの地としても知られてまんねやけども、三日月もなんやらおもろい伝説が残っているようで。 そんなこんなで兵庫県佐用郡佐用町を観光してみましたので、ぜひ参考にしてみてください。
兵庫県佐用郡佐用町で活躍するマスコットキャラクター「おさよん」。 2011年、登場。 性別は、女の子。 特徴は、頭には町花のひまわり、体は棚田、マフラーは清流千種川をイメージ。 特技は、縄とび、ダンス、かけっこなど。
うどんや丼、鍋などを味わうことができる。 店内はカウンター席と座敷、テーブル席がある。
鹿カレー
鹿肉の入った鹿カレー
佐用町の新名物豆カレー
佐用町の新名物豆カレー
ホルモン焼うどん
ホルモン焼うどん
播磨国姫路(兵庫県姫路市)と出雲国松江(島根県松江市)とを結ぶ出雲街道の間に位置する宿場町の本陣跡。 出雲街道は別名、出雲往来、雲州街道などとも。 佐用村は1600年に姫路藩領、1615年に平福藩領、1631年に山崎藩領、1640年からは旗本松井氏の知行地となる。 佐用村は古代から美作道・鳥取因幡道が通る交通の要衝であり、江戸初期には佐用宿が置かれ町場が形成。 松井氏が陣屋を置き、出雲国松江藩の本陣も置いた。
焼肉やホルモン焼き、ホルモン焼きうどんなどが味わえる飲食店。 店内はテーブル席と座敷がある。 1975年、店名「さよ」として創業。 1976年、移転し、店名「新さよ」に改名。 古くから愛されてきた佐用町の郷土料理ホルモン焼うどん。 そもそも佐用町では畜産業や精肉業が盛んで、ホルモンが入手しやすい環境であったことからホルモンを使用した家庭料理が根付いたという。
ホルモン焼うどん
ホルモン焼うどんはうどんだけでなく、ホルモン、野菜にたれをつける。 2人以上であればホルモン焼きうどんのセットがお得。
例年、7月上旬から8月上旬にかけて見頃を迎えるひまわり。 ここでは、町内6地区が時期をずらして開花する。 合計約24ha、約120万本。 毎年7月、「ひまわり祭り」を開催。 入園料は200円。 南光スポーツ公園駐車場など駐車場は複数個所にあり。
ひまわり
畑一面のひまわりが一斉に開花し、来場者を楽しませる。 畑内には人が立ち入ることができ、記念撮影を楽しむ人の姿も。
ひまわり
ひまわり畑は複数個所にあり、歩きながらいろんな景色、ひまわりを楽しむことができる。
「宇宙と人間」をテーマにした公園。 1990年、開園。 口径200cm反射望遠鏡「なゆた」を有する世界最大の公開天文台と、宿泊施設、食堂、広場、花畑等で構成。
反射望遠鏡
口径200cm反射望遠鏡「なゆた」を有する世界最大の公開天文台
眺望
天文台の施設には展望フロアがあり、兵庫県佐用郡佐用町を一望することができる。
- アプリで地図を見る
江戸時代、池田家姫路藩の領地であった。 その後、平福藩、山崎藩領、天領等を経て、三日月藩が立藩。 一説によると志文川支流と本郷川と角亀川の合流する三日月町では、北条時頼の廻国伝説にかかわり、時頼が3か月当地に滞在したことにより、三日月という地名になったとか。
JR西日本姫新線の停車駅の一つ三日月駅。 無人駅で自動改札機や自動券売機はなく、駅舎には待合室のみ。 田舎らしい駅舎ではあるが、おもろしろいものを見つけた。
三日月が駅舎に
三日月駅の駅舎の入り口付近で見上げてみるとそこには三日月が。 ここ三日月ではいろんな場所に三日月のオブジェが展示され、記念撮影を楽しむ人の姿も。
三日月駅に電車が停車
三日月駅にはホームが2面あり、それぞれに電車が停車する。 乗客が乗り降りし、すぐに八社となるが、その瞬間を撮影。
駅のホームから見えたのは
三日月駅に入ってくる電車を待っているとき、まわりを見渡してみると山の斜面に書かれていたのは三日月。 三日月は輪郭を描くようにライトが配置されているらしく、明るく光っていた。
1697年、津山藩森家の改易に伴い、その分家である森長俊が当地に移住。 佐用町や宍粟市の一部を含む藩主となった。 1698年、長俊は領地入りし、藩庁の陣屋と家臣屋敷の建設に着手。 1700年、完成。 戊辰戦争では官軍に付き、参戦。 1871年、廃藩置県により、藩庁としての役目を終え解体。 物見櫓は、三日月藩の乃井野陣屋で唯一現存する江戸時代の建築遺構。 施設内では物見櫓の煉瓦、鎧甲、絵図、陣屋から出土した瓦・陶磁器などを展示。
1185年、山城国石清水八幡宮より分霊を勧請、八幡宮寺神領として鎮座。 1624年、神社の西方にあたる山林畑を開墾の際、焼失。 1683年、拝殿を再建。 1736年、幣殿を再建。 1853年、本殿を再建。
三日月藩主森家の祖先を祀る。 境内には石碑「播磨十水 落葉乃清水」も。 境内には三日月小学校の前身にあたり、三日月藩の藩校である旧藩校広業館があり、580名の生徒が在籍。
- アプリで地図を見る