
ここはアメリカ?横須賀で楽しむアメリカ ファーストな旅
神奈川ここはアメリカ?横須賀で楽しむアメリカ ファーストな旅
まいどまいど! 駅を降りた瞬間、まるでアメリカの一都市を訪れたかのような錯覚・体感ができる神奈川県横須賀市。 ここには、米海軍に愛されてきた昔ながらの味を守り続けるヨコスカネイビーバーガーや英海軍に愛されてきた昔ながらの味を守り続けるよこすか海軍カレー、そして、チェリーチーズケーキなどが一度に楽しむことができまんねん。 場所は京浜急行電鉄(通称、京急)の汐入駅から横須賀中央駅までにかけて広がる商店街「どぶ板通り」にはそんなお店がぎょうさんおまっせ。 ほんでまた、近くには横須賀海軍施設がありまっさかい、昼夜問わず店内には英語が飛び交い、時間帯によっては横須賀海軍の制服を着た米国人とすれ違うことも。 もともと、横須賀市の久里浜は黒船に乗って浦賀に来航したマシュー・ペリー提督のゆかりの地として知られ、ペリー上陸記念碑、ペリー記念館、児童広場などがありまんねん。 街のいたるところには黒船のモニュメントや海軍カレーを持つマスコットキャラクターが展示され、出会う楽しさもここにはおます。 ここ横須賀は関西からは遠く離れた場所でんねんけど、関西在住の皆様にもぜひおすすめしたいエリアでっせ~!
「よこすか海軍カレー」の公式キャラクター「スカレー」。 「スカレー」の名前は「ヨコスカ」と「カレー」を組み合わせたもの。 年齢は、カモメ年齢で9歳。 誕生日は、5月20日。 趣味は、カレーの食べ歩き、スプーン集め、飛行訓練。 好きな食べ物は、カレー。 将来の夢は、水兵さん、コックさん。 行ってみたい場所は、イギリス。 青地の制服を着た「BIGスカレーちゃん」も活躍している。
スカレー
神奈川県横須賀市が町おこしの一環として「カレーの街」を宣言。 大日本帝國海軍横須賀鎮守府は、同盟国のイギリス海軍から伝わった海軍カレーを食事として採用していたことから全国に広がった。
横浜岡田屋が運営する複合商業施設で、約160の専門店が集まる。 京浜急行電鉄の横須賀中央駅に直結する。
魚介類などを中心に味わうことができる居酒屋。 店内はカウンター席とテーブル席がある。
海鮮丼
メニューは地元の三崎港で水揚げされたというマグロを使用したまぐろ漬丼をはじめ、しめさば、かつお。サザエ、ねぎとろ丼、お刺身盛り合わせ、天ぷら盛り合わせなど。
神奈川県横須賀市大滝町にある商店街。 名称は戦艦「三笠」に由来する。 名付け親は加藤寛治。 全長約180mで4階建ての三笠ビルに各店舗等が入居し商店街のような雰囲気を形成している。 三崎街道沿いに連なる大滝町商店街に隣接する。 明治時代、大滝町商店街の一部として発足。 1959年、現在の三笠ビルが完成した。
スカベイ
三笠ビル商店街で活躍するマスコットキャラクター。 猿島に伝わる白猿伝説とカモメがモチーフ。 トレードマークは、サザエの帽子。
愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院「豊川稲荷」の横須賀別院。 正式には「円福山 豊川閣 妙厳寺」。 日本三大稲荷の1つとされ、秘仏「豊川吒枳尼真天」の稲穂を担いだ姿などから、「豊川稲荷」と呼ばれるようになった。 吒枳尼天は、インドの古代民間信仰に由来する仏教の女神。 商売繁盛などを願う参拝客らが訪れる。 また、愛知県の豊川稲荷付近は、稲荷寿司の発祥の地とされ、稲荷寿司の店が並んでいるとか。
正式名称は、本町商店会。 全長約300m、約150店舗が連なるスカジャンの発祥地。 横須賀との縁が深い有名人の手形が通りの路面に埋め込まれている。 週末にはフリーマーケットやストリートライブ、パフォーマンス、「どぶ板バザール」などが開催される。
スカジャンの街・どぶ板
第二次世界大戦前、道の中央にどぶ川が流れていた。 人や乗用車の通行の妨げとなっていたため、海軍工廠より鉄板の提供を受け、どぶ川に蓋をしたことから「どぶ板通り」と呼ばれるようになったが、その後、撤去。 第二次大戦前、大日本帝国海軍横須賀鎮守府の門前町として発展。 第二次大戦後、進駐軍・在日アメリカ軍横須賀海軍施設の兵隊向けの土産物店、肖像画店、バーや飲食店、テーラーショップなどが栄えた。
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ドブ板通り入り口にある「魚藍亭」のよこすか海軍カレー館。 多くのテレビ番組や雑誌の取材、映画・ドラマの撮影にも使用され、店内の壁面には訪れた多くの芸能人の写真が展示されている。
元祖よこすか海軍カレー
明治時代、イギリス海軍が日本海軍に伝えたというカレーのレシピを忠実に再現したカレーの元祖を今も楽しむことができる。
祭神は健御名方命・事代主命他五柱。 1380年、三浦貞宗が横須賀の鎮守として長峯城周辺の当地古谷山に、信州の上下両諏訪明神を勧請。 1606年、代官長谷川三郎兵衛を中心に社殿・境内の大改修。 農漁の守護神として崇敬を受けた。 祭神の健御名方命は山神で、狩猟によって山を生活の場とした射的の上手な部族の祖神であったが、農耕の神とも。 元々、出雲の国から周防(山口県)に行き、伊勢から美濃を経て信濃に入り、蝦夷の牙城をおとして諏訪の神となった。
蜑族
事代主命は、北九州博多から出発し丹波・丹後地方を勢力範囲とした漁猟部族の蜑族の祖神である航海と漁猟の部族。 この祖神事代主命はえびす様とも云って漁業や商業の守護神として祀られる。 蜑族は、富山から姫川を逆上って上高地の下の旧湖水で生活していたが、農業神とも。 ここから諏訪湖に移って水上生活をした部族。
ネイビータウン横須賀の象徴「どぶ板通り」沿いに位置する「どぶ板食堂Perry(ペリー)」では、「横須賀3大グルメ」のヨコスカネイビーバーガー・よこすか海軍カレー・チェリーチーズケーキが味わえるお店。 店内の内装を見てみると、まるでアメリカに来たような雰囲気が漂い、来客の間でも英語が飛び交っている。
海軍カレー
今回ご紹介するセットは、よこすか海軍カレーと唐揚、ポテト、サラダ、牛乳が一つになった。 別セットにはよこすか海軍カレーとハンバーガー、サラダ、牛乳が一つになったものも。 中でも、ホットドッグ「ペリードッグ」は大人気であるとか。
兵庫県神戸市長田区出身の漫画家・横山光輝氏の漫画作品「鉄人28号」の模型が目印。 元々、米海軍の軍隊食で、艦船の見張り要員の食事であったネイビーバーガーのレシピを、友好の印として米横須賀基地から横須賀基地に提供され、ご当地グルメとして販売を開始したという。
TSUNAMI
明治時代、英海軍の軍隊食であったカレーのレシピを、日本海軍が小麦粉でとろみをつけご飯に添えたのが日本のカレーライスのはじまり。 1999年、「海軍割烹術参考書」をもとに横須賀市のご当地グルメとして販売を開始。 ここでは、香味野菜とともに仕上げたフォンドボーと30種類のカレー粉をブレンドした辛目のカレー。 その他、ビーフステーキやロコモコ、タコライス、タコスなどを味わうことができる。
海軍バーガー
カレーを使用した海軍バーガー。
GW BURGERジョージ・ワシントンバーガー
GW BURGERジョージ・ワシントンバーガーは、横須賀を母港とする原子力空母ジョージワシントンから命名された。 レタス・トマト・たまねぎ・パテ・チーズ2枚・目玉焼き・厚切りベーコン2枚を使用したという。
ヨコスカチェリーチーズケーキ
ヨコスカチェリーチーズケーキは、横須賀米海軍から横須賀市へ友好の証としてレシピの提供を受け、2009年より販売。 チェリー(桜)をトッピングし、アメリカ産のクリームチーズを使用しているという。
バーの雰囲気で楽しむことができる本格的なアメリカのハンバーガー。 地域でも美味しいと評判で、神奈川県横須賀市のご当地バーガーが楽しめる話題のお店。
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店内には、ビリヤードやダーツ、ピンポン台などがあり、まるでアメリカのような雰囲気が漂う。
施設「EMクラブ」の跡地碑。 海軍工廠の前に位置していた。 前身は、海軍下士官兵集会所。 戦後、アメリカ軍に接収され、ジャズの発祥の地としても知られている。 現在、横須賀芸術劇場とホテルなどからなる複合文化施設となっている。
1階には横須賀物産コーナー。 よこすか海軍カレーレトルトをはじめ、カレー関連商品、横須賀のお酒やワイン、海産物などの横須賀土産が揃う。 2階には海軍カレーやヨコスカチェリーチーズケーキ、海軍コーヒーなどを楽しむことができるレストランとなっている。 店内は旧日本海軍の士官室をイメージした内装となっていて、BGMには明治時代に日本海軍の軍楽隊が演奏していた楽曲が流れていた。
よこすか海軍カレー スペシャルチキン
軍艦をモチーフにした島風・陸奥・金剛・天龍などのカレーも話題を呼んでいるが、その中でも、よこすか海軍カレー スペシャルチキンを選んだ。 明治時代、日本海軍がイギリス海軍のカレー味シチューを参考にして小麦粉を加えた史実をそのままに、カレー本舗の海軍カレーでは、小麦粉を控え、野菜とフルーツを加えたカレーが特徴。
珈琲もご一緒に
珈琲を飲んで至福のひと時。
醸造所併設のビアレストラン。 コンセプトは「YOKOSUKA PRIDE」。 主にクラフトビールを製造販売する。 横須賀ビールでは自家農園を持ちながら横須賀・三浦半島の食材にこだわったといい、旬の食材を生かした料理や弁当も味わうことができる。 種類はドブイタハッピーや横須賀フォレストジンジャージンジャエール、初声ミツムギウィートヴァイツェン、スーザンダークダークエールなど。
三浦半島まるかじり弁当
テイクアウトでは白身フライ、鶏の唐揚げ、地野菜天ぷらののりだんだん弁当、地竜田揚げ、角煮弁当、地魚南蛮漬け、魚肉ハンバーグの本日のおすすめ弁当、三崎まぐろのフィレカツデミグラスソース弁当、そして天ぷら、焼き魚、サラダなど三浦半島の旬の食材がたっぷり入った三浦半島まるかじり弁当など。
「地産地消」「旬産旬消」をテーマにした地場産物総合販売所。 旬を迎えた魚介類や野菜、果物が並んでいる他、地元食材を使ったジェラートや切り売りピザなどの軽飲食、レストランがある。
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テーマは「水と光と音」。 「日本の都市公園100選」「日本の歴史公園100選」に選定。 園内には音楽噴水があり、1日6~7回、音楽に合わせて大小様々な噴水が上がるショーが行われ、夜にはライトアップ。
三笠公園付近のアプローチ歩道
歩道脇には水が流れ、大型帆船日本丸のモニュメントが設置されている。 1984年、練習帆船として建造された大型帆船日本丸は、横須賀で誕生し、それを記念してメインマストを中心に実船の3分の1スケールで再現された。
めだかの学校童謡碑
作詞は茶木 滋。 明治薬学専門学校を卒業後、薬剤師となった。 童話や童謡に興味を持ち、作品を児童雑誌などに投稿。 作曲者は中田喜直。 中田章を父に持ち、東京音楽学校を卒業後、「ちいさい秋みつけた」等を作曲。 「春らしくのんびりした明るい歌」の作詞を依頼された。 小田原市郊外の小川の畔を散歩中、長男・義夫が見つけためだかを見失い、「待ってればまたくるよ、ここはめだかの学校だもの」との発言がヒントに。
三笠と東郷平八郎
公園内の戦艦「三笠」前には当時、戦艦「三笠」に乗船して活躍した東郷平八郎連合艦隊司令長官の銅像などが建立。
東郷平八郎
東郷平八郎像。
記念艦
大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。 奈良県の三笠山(若草山)にちなんで命名。 船籍港は京都府舞鶴市の舞鶴港。 同型艦に敷島、初瀬、朝日。 現在、防衛省が所管し神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されている。
記念艦内
日清戦争後、日本海軍はロシア帝国に対抗するために軍拡を進めた。その中で三笠はイギリスのヴィッカースに発注し、建造。 1899年、バロー=イン=ファーネス造船所で起工、進水、横須賀に到着した。 初代艦長は早崎源吾大佐。 1904年、日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した。
記念艦内
日露戦争終結直後、佐世保港内で後部弾薬庫の爆発事故のため沈没。 日本が第一次世界大戦に参戦し、日本海などで警備活動に従事した。 ワシントン軍縮条約によって三笠は廃艦。 解体される予定であったが、三笠に対する保存運動が勃興し、記念艦として横須賀に保存することが決定。 第二次世界大戦中も保存艦として置かれ、戦争末期になり横須賀港が空襲や機銃掃射を受けたものの被害を受けることはなかった。
記念艦内
連合国軍の構成国で、横須賀港を接収したアメリカ軍のための娯楽施設「キャバレー・トーゴー」が設置され、後部主砲塔があった場所には水族館が設置された。 その後、保存活動があり、当時の外観、内装に近い状態に復元し、現在に至る。
記念艦内
当時の雰囲気をそのままに。
記念艦内
当時の雰囲気をそのままに。
記念撮影も
記念艦の三笠内では記念撮影も可能。
記念艦内
当時の雰囲気をそのままに。
記念艦内
迫力満点。
記念艦内
東郷平八郎が立ち、指揮していたとされる位置から記念撮影。
2020年、ショッパーズプラザ横須賀がリニューアルオープン。 コースカという名称の由来は「海の街 横須賀」を連想させるCOASTとYOKOSUKAから。 ロゴマークは頭文字Cの形でシンボライズ。 自分らしさや自分の時間が見つかる場所として、人々の心や想いが花開く様子、横須賀の太陽と海(水しぶきでできる水の王冠)を表現。 コンセプトは「YOKOSUKA LIFE BASE」。 地元住民にとって欠かせない生活の基盤となり、新しい横須賀・三浦半島の拠点となることを目指す。 「HISTORIC YOKOSUKA」として横須賀の歴史、港、鉄、船、異文化交流、豊かな食と自然環境などのキーワードをデザイン。
横須賀の観光も
2階のグルメエリアには横須賀・三浦半島の新鮮な名産物や特産品が集積し、横須賀エリア最大規模の食の集積ゾーンを展開。 1階にはYOKOSUKA軍港めぐりの乗船場が設置。
横須賀港やその周辺を周遊できる遊覧船。 横須賀本港から長浦港を周って新井掘割水路を通る航路。 周辺に点在する在日米軍や海上自衛隊の施設や停泊する艦船を間近に観察できる。
市立都市公園。 園名の由来は横須賀造兵廠など近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援したフランス人技術者レオンス・ヴェルニーから。 1946年、臨海公園として開園。 2001年、フランス式庭園の様式を取り入れてリニューアルオープン。 約2000本のバラが植栽され、多くの見物客でにぎわう。 毎年5月にはイベント「Spring Rose Garden & ローズフェスタ」が開催。 カフェレストラン・コルセールはフランスのブルターニュ地方をイメージしたという外観が特徴。 メニューはフランス料理やパスタ、ブルターニュ地方の郷土料理ガレットやシードルなど。
アメリカ海軍の横須賀海軍施設や海上自衛隊横須賀基地
園内からは米国海軍の横須賀海軍施設や海上自衛隊横須賀基地をはじめ、停泊する艦船を観察できる。
小栗忠順(通称、又一、剛太郎、上野介)
三河小栗氏第12代当主。 1827年、江戸駿河台(東京都千代田区)生まれ。 安積艮斎の私塾「見山楼」に入門、栗本鋤雲と知り合う。 武術は島田虎之助、砲術は田付主計、柔術と山鹿流兵学を窪田助太郎清音に師事。 藤川整斎の門下となった。 1849年、林田藩の前藩主建部政醇の道子と結婚。 1853年、米国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが浦賀に来航。 異国船に対処する詰警備役。
製鉄所
1860年、遣米使節目付(監察)として、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米、フィラデルフィアでは通貨の交換比率の見直しの交渉に挑んだ。 帰国後、奉行を務めた。 江戸幕府の財政再建やフランス公使レオン・ロッシュに依頼して洋式軍隊の整備。 製鉄所建設案が14代将軍徳川家茂の承認を受け、上野国(群馬県甘楽郡下仁田町)で中小坂鉄山採掘施設を建設、横須賀製鉄所(横須賀海軍工廠)などを建設。
日本初のフランス語学校・横浜仏蘭西語伝習所を設立
この人事より職務分掌・雇用規則・残業手当・社内教育・洋式簿記・月給制など、経営学や人事労務管理の基礎が日本に導入。 日本初のフランス語学校・横浜仏蘭西語伝習所を設立。 小銃・大砲・弾薬等の兵器・装備品の国産化を推進。 湯島大小砲鋳立場を幕府直轄として関口製造所に統合、ベルギーから弾薬火薬製造機械を購入、滝野川反射炉の一角に設置、日本初の西洋式火薬工場を建設。
明治の父
幕府陸軍への指導を目的にフランス軍事顧問団が来日。 1866年、関税率改訂交渉に尽力、株式会社兵庫商社を設立。 日本初の本格的ホテル、築地ホテル館が建設。 1867年、15代将軍徳川慶喜が朝廷に大政奉還。 徳川慶喜の恭順に反対、1868年に罷免されて上野国(群馬県高崎市倉渕町権田)に隠遁。 司馬遼太郎は小栗を「明治の父」と記した。
フランソワ・レオンス・ヴェルニー
フランスの技術者。 横須賀造兵廠、横須賀海軍施設ドックや灯台、その他の近代施設の建設を指導、日本の近代化に貢献。 海軍造船工学学校に入学、海軍技術者となった。 オルレアンやボルドー、トゥールーズ、イタリア独立戦争中にジェノヴァやフィレンツェを訪問。 1860年、ブレスト造兵廠に着任、造船・製鉄・艦船修理などに従事。 造船所や倉庫、ドック、砲艦が竣工、レジオンドヌール勲章受章。
江戸幕府とフランス
1865年、江戸幕府とフランスの協力による近代的造兵廠の建設を目的に来日。 フランス人住宅や警固の詰所、各種工場や馬小屋、日本人技術者養成を目的とする技術学校などの各種施設が建設。 ルイ・フェリックス・フロランに命じて観音埼灯台を建設。 野島埼灯台、品川灯台、城ヶ島灯台も建設。 1871年、横須賀製鉄所(横須賀造船所)、横浜製鉄所(横浜造船所)を建設。
記念石
小栗ゆかりの群馬県群馬郡倉渕村から1953年に寄贈された「記念石」が設置。 正岡子規の歌碑(横須賀や只帆檣の冬木立)も。
旧日本海軍関係の慰霊碑(沖島、長門、山城の碑、國威顕彰碑、海軍の碑)
1936年、日本海軍最大級の敷設艦である沖島が竣工。 機械水雷の敷設艦として支那方面の沿岸封鎖作戦、南太平洋海域の幾多の海戦に参加。 1942年、ソロモン群島ブガ島クイーンカロラ沖にて沈没。 1920年、呉海軍工廠にて起工、長門が竣工。 世界最大最強の戦艦とも言われ、大東亜戦争などに参加。 ビキニの原子爆弾実験にも使用された。
かつての時代
横須賀鎮守府管下、最初の超弩級軍艦として軍艦の山城が竣工。 太平洋戦争にも参加。 捷第一号作戦において西村艦隊の旗艦として比島スリガオ海峡に突入、数倍に及ぶ米艦隊と激戦、集中砲火の的となり、沈没。
戦争が激化
浦賀にアメリカ人のペリー率いる黒船が来航し、横須賀に製鉄所を建設、近代海軍の創設を企画。 明治政府が樹立され、政府は近代化に着手。 日清・日露両戦役を経て次第に整備充実され、世界三大海軍国の一つとしてその地位を占めた。
明治時代から大正時代にかけて旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所として建設。
詳細
石碑には詳細が刻まれている。
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横須賀造兵廠など近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援したフランス人技術者レオンス・ヴェルニーの功績を展示、公開している施設。 フランス・ブルターニュ地方の住宅を模した屋根と石の壁が特徴。 旧横須賀製鉄所(横須賀造船所を経て横須賀造兵廠)で使用されていたオランダ製の3トンと0.5トンの鍛造・圧延用蒸気ハンマー(スチームハンマー)が保存。 毎年11月中旬には「ヴェルニー・小栗祭式典」が開催。
戦艦陸奥主砲
記念館前には2016年に船の科学館から移設された戦艦陸奥主砲が設置。
東京湾に浮かぶ最大の自然島で無人島。 島の大半を猿島公園として整備されている。 島からは縄文時代の土器や弥生時代の土器・人骨が出土し、日蓮にまつわる伝説が残っている。 幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点となり、江戸幕府により国内初の台場が築造された。 明治時代、陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。 岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残る。 横須賀市が散策路等を整備し、航路、海水浴場を再開。 映画「天空の城ラピュタ」を連想させるとして人気を集めている。