月島と築地で楽しむもんじゃ焼きと海鮮料理
東京月島と築地で楽しむもんじゃ焼きと海鮮料理
まいどまいど! 東日本最大のターミナルとして知られる東京駅からほど近い場所におました築地卸売市場。 過去には豊洲市場への移転問題で注目を浴びはりましたが、築地場外市場は当時、現役営業中でおました。 そこで、関西人にとっても嬉しい、海鮮料理が安く楽しめるお店もぎょうさんおまっさかい、食べてみることにしましてん。 天然マグロなど海鮮丼はやっぱり美味しい。 回転寿司「すしざんまい」の本店もありまんねやけど、大手牛丼チェーンの一つ、吉野家の発祥地でもありまして、築地市場の近くに鎮座する波除神社では石碑も建立されてまんねん。 そこから少し足を延ばしますと東京名物「もんじゃ焼き」の発祥地、月島も。 ここにはもんじゃ焼きの有名店が集まる商店街もありまして、食事時になりますと観光客でにぎわってはりまんな。 中でもおすすめなのが、もんじゃ焼きの元祖ともいわれておます、いろは本店。 ここでももちろん、もんじゃ焼きが楽しむことができまんねやけども、周辺にももんじゃ焼きだけやなくメロンパンなどのお店もおまっせ。 他には芥川賞でおなじみの芥川龍之介氏ゆかりの場所や慶応義塾大学、靴業発祥など史跡も。
東京都内に11か所ある東京都中央卸売市場のひとつ。 その規模は日本・世界最大。 外郭に位置する築地場外市場商店街(通称、場外、場外市場、築地場外、築地場外市場)も魅力。 ここでは、新鮮な魚介類を使用したお店が多数、軒を連ねている。 また、回転寿司で一躍注目を浴びた「すしざんまい」の本店がある。
もんぜき通り
築地場外市場商店街と連なる。
もんぜき通り沿いにある「天然まぐろ」専門店。 10種類以上のまぐろ丼、鮪を使った創作料理が楽しめる。
又こい丼
当店の人気No.1商品の又こい丼。 マグロを贅沢に使用した丼は、マグロ好きにはたまらない!
水産物の各産地の漁協、生産者、販売事業者が出店。 全国各地の水産物の産直市場。
厳選された新鮮な魚貝類が人気の丼が楽しめる。 海の幸を沢山盛込んだ海鮮丼は一番の人気で、生ビールと一緒にいただく。 海鮮丼には、ウニ・まぐろ・イクラ・タコ・カンパチ(またはヒラメ)・焼き玉子が。
祭神は、倉稲魂命。 明暦の大火後、築地の埋め立て工事が行われたが、荒波の影響で工事は難航した。 その最中のある晩、光を放ち漂う御神体が見つかった。 1659年、現在地に社殿を建立。
獅子殿
日本最大の獅子頭。 雄雌の2体があり、「天井大獅子」と呼ばれる雄は、高さ2.4m、幅3.3m。 重さは約1t。 樹齢約三千年の大木を使用して作られたとか。 古くから、荒波を起こす風と雲を司るのは、虎と龍としておそれられ、虎と龍を一声で威伏させる存在・獅子を祀っていたことがはじまり。
塚が並ぶ
卵の形をした玉子塚をはじめ、すし塚や海老塚、活魚塚、蛤石、鮟鱇塚が並ぶ。
吉野家発祥の地
大手牛丼チェーンとして知られる吉野家。 実は、1899年に当地付近で開業した。 創業者の松田栄吉は、大阪市福島区吉野の出身であったため、吉野家という屋号の由来となったとか。
京都市・西本願寺の直轄寺院で、浄土真宗本願寺派。 築地本願寺は西本願寺の別院として浅草御門南の日本橋に建立。 別名、江戸海岸御坊、浜町御坊。 明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。 八丁堀沖の海上に再建させるため、佃島の門徒が中心となり、海を埋め立てて土地を築いた。 別名、築地御坊。 1923年、関東大震災が発生。 1934年、現在の本堂が竣工。 古代インド様式がモチーフ。 当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部名誉教授・伊東忠太による設計。 本尊は聖徳太子手彫と伝承される阿弥陀如来立像。
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1858年、慶應義塾の起源は、福沢諭吉が中津藩奥平家の中屋敷内に開いた蘭学塾に由来。 諭吉は、当地で蘭学の教授をはじめた。 また、福沢諭吉は大阪市福島区生まれ、緒方洪庵が塾長を務める大阪市中央区の適塾に入門。 以後、適塾で塾長をつとめており、出府にあたっては、同窓のなかから同行を希望した岡本周吉(のち岡本節蔵・古川節蔵・古川正雄と改姓名)を伴い、江戸へ下るという同窓の原田磊蔵と3人で、江戸に入った。 また、当地は、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵らが集まって、オランダの解剖書「ターヘル・アナトミア」を解読した場所として知られ、日本洋学発祥の地記念碑が建立。
1892年、当地には、乳牛の牧場「耕牧舎」があり、その経営者新原敏三の長男として、作家として活躍した芥川龍之介が生まれた。 生後、家庭の事情から母の長兄芥川道章に引き取られ、墨田区両国付近に移り、芥川家の養子になった。 東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、夏目漱石に入門。 「地獄変」「羅生門」「河童」など、数多くの名作を遺した。
西村勝三が伊勢勝・造靴場を創建。 勝三は、佐倉藩の開明進取の風土に育ち、時の兵部大輔、大村益次郎の勧めと、藩主堀田正倫 並びに渋澤栄一の支援を得て靴工業を創成。
東京は開港場ではないが、開市場に指定。 1869年、築地鉄砲洲に外国人居留地を設置。 しかし、横浜居留地の外国商社は横浜を動かず、主にキリスト教宣教師の教会堂やミッションスクールが入った。 このため、青山学院や女子学院、立教学院、明治学院、女子聖学院、雙葉学園の発祥地となっているとか。 また、外国公館も多かった。
明治時代、佃島から先の砂州を埋め立てて完成した勝どき、佃、月島。 当時、鉄工所や機械工場、海運業や倉庫などが点在。 月島の中央道路(清澄通り)より西側の西仲通りで露店が増え、次第に商店街を形成し、月島西仲通り商店街となった。 「月島の渡し」は明治時代、土木請負業の鈴木由三郎が、手漕ぎの船で私設の有料渡船をはじめたことに由来。 当時の駄菓子屋には大きな鉄板があり、文字焼き(もんじゃ)を作って食べていた。 これが現在のもんじゃ焼きの原形ともいわれ、小麦粉を溶いて薄く焼いたものに醤油や蜜をつけて食べる。 文字焼きとは焼く時に文字や図柄を画いて楽しみながら食べていた様子から名付けられたとか。
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もんじゃ焼きで有名な月島西仲通り商店街の一角に位置する「いろは」。 特に「いろは」は、もんじゃ焼きの元祖とも呼ばれ、創業は昭和30年。 かつては子供たちのおやつとして人気を集めていたもんじゃ焼きも今では、行列ができるほどの人気のお店の一つとなっている。
月島でもんじゃ焼きが美味しいと評判のお店の一つ、「おしお」。 ここではお好み焼きのほか、月島名物のもんじゃ焼きを楽しむことができ、海鮮たっぷりのもんじゃや、チーズたっぷりのもんじゃなど、いろんな味を一度に楽しむことができる。
本場のもんじゃ焼き
おいしそうな湯気が立ち込める鉄板の上には、東京名物もんじゃ焼き。 ビールを飲みながら少しずつ食べるのも、もんじゃ焼きの美味しい食べ方。