世界遺産・姫路城下町で楽しむ大博覧会とモノレール
兵庫世界遺産・姫路城下町で楽しむ大博覧会とモノレール
まいどまいど! かつて姫路市内にモノレールが走っていたことを皆さんはご存知でっしゃろか。 昔と言っても、1979年に廃線が決まった姫路モノレールのことでんねんけど、その存在を知る人も年々、少なくなってきました。 せやけど、今でも姫路モノレールの名残を見ることができまんねん。 1966年、姫路大博覧会が開催されたこととしても知られる開催地・手柄山中央公園の一角に、当時のモノレールをそのままに展示した展示室がおまして、当時の駅の写真やモノレールの構造、ほんでモノレールとともに歩んできた姫路の歴史も詳しく展示されておまして、おもろおまっせ。 ますます姫路のことが好きになる、そんなスポットやおまへんでっしゃろか。 日本で初めて、亀に触れることのできるタッチプールを開設。 ウミガメやオオサンショウウオの研究などで知られている。 周辺の河川や海などに棲息する生き物を中心に展示、本物のカメの甲羅が背負える体感などができる水族館も。 姫路は地酒が有名で、姫路駅の南部に位置する灘菊酒造。 ここで工場見学や試飲ができまっせ!
姫路駅から近い場所に位置する手柄山には総合公園がある。 1966年、姫路大博覧会が開催。 閉幕後、跡地を姫路市が整備し現在に至る。 公園内には、既存の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔、姫路球場、回転展望台、平和資料館、水族館、温室植物園、武道館、文化センター(コンサートホール)、手柄山遊園、市民プール、中央体育館、陸上競技場などの大型公共施設が数多く立地する。 1998年、国土交通省から「手づくり郷土賞」を受賞。
最上階は展望台
内部を自由に見学することができ、最上階からは姫路市内を一望することができる。
姫路市内を一望しながら
姫路大博覧会の名残が随所に残っており、自由に見学することができる。
1966年、開業。 姫路博テーマ塔として建設された。 展望台では、カフェが開設され、姫路市内を一望しながらドリンクや軽食を楽しむことができる。
手柄山中央公園内にある手柄山交流ステーションでは、かつて姫路市内を営業走行していた姫路市交通局モノレール線(通称、姫路モノレール)の車両や資料が展示されている。 1966年、姫路駅から手柄山駅(現在の手柄山中央公園)までを結ぶ鉄道(モノレール)路線として開業。 1974年に休止、1979年に廃止されるまで活躍していた。 路線距離は、約2kmで、跨座式(ロッキード式)。 停車駅は、姫路駅、大将軍駅、手柄山駅の3駅。
内装
車内は一般開放され、自由に見学することができる。 また、姫路モノレールを紹介する展示物も多数。
当館は、手柄山に位置するため、別名、「山の上の水族館」と呼ばれている。 1966年、開館。 日本で初めて、亀に触れることのできるタッチプールを開設。 ウミガメやオオサンショウウオの研究などで知られている。 周辺の河川や海などに棲息する生き物を中心に展示。 本物のカメの甲羅が背負える体感などができる。
戦争に関する展示を行っている博物館。
無宗教の慰霊塔。 地中に突き立てた刀は不戦の誓いを表している。 太平洋戦争の折、空爆などで被災した都市の犠牲者を追悼するためにつくられた。 1947年、当時の姫路市長・石見元秀が全国で被災した都市に呼びかけ、全国戦災都市連盟(財団法人太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会)が結成。 毎年、太平洋戦全国空爆犠牲者追悼平和祈念式が開かれている。
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遊園地と姫路市民プール。 1966年、手柄山に開園。
宗派は真宗大谷派。 本山は真宗本廟(東本願寺)。 山号は、轉亀山。 本尊は、阿弥陀如来。 別名、船場御坊、船場本徳寺、姫路御堂。 1515年、蓮如の門弟法専坊空善が英賀城下に本堂の英賀御堂を開創。 1580年、羽柴秀吉の英賀城攻めを前に、亀山本徳寺に移転。 1602年、本願寺は東西に分立、亀山本徳寺は姫路城主池田輝政治下で本願寺派に。 1618年、姫路城主本多忠政により本堂を建立、亀山本徳寺より分立。 明治時代、旧制姫路中学校(兵庫県立姫路西高等学校)の前身、勧開中学校や崇徳学校を設立。 第一次世界大戦参戦時、ドイツ軍捕虜の収容所となった。 現在も当時の捕虜が作った望郷塚が残る。
とんこつスープと半熟味玉が特徴のラーメン専門店。 店内はカウンター席とテーブル席があり、テイクアウトも可能。 2002年、開業。 メニューは冷し豚骨つけ麺、油かすらーめん、野菜らーめんなど。 一番人気はチャーシューや味玉が乗った味玉らーめん。
姫路駅から手柄山駅までの範囲では、かつて存在した姫路市営モノレールの軌道桁や橋脚が残り、廃線跡が現代遺跡との異名も持っている。 かつて、姫路市営モノレールの大将軍駅として営業していたアパートにはホームが残り、3階から4階の部分は吹き抜けとなっていた。 3階には軌道、4階にはホームが設置され、駅名標は旧字体で「大將軍駅」。 現在は、建て替えられ、現存していない。
1910年に創業した日本酒メーカーの一つとして知られる灘菊酒造では、清酒「灘菊」などを製造・販売している。 創業者は川石酒造作。
写真撮影スポット
旧酒蔵を利用したレストランや販売店が多く立ち並んでいる。
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宗派は浄土真宗本願寺派。 山号は霊亀山。 本尊は阿弥陀如来。 別名、亀山御坊、亀山御堂。 1515年、蓮如の門弟空善が飾磨郡英賀の英賀城下に本堂(英賀御堂)を開山。 1580年、羽柴秀吉は三木城攻めにより、別所長政城主の三木城を落城。 別所長政を支援した三木通秋が居城とする英賀城攻め(兵庫県姫路市)に先立ち、秀吉は亀山に移築。 1602年、京都府京都市に位置する本願寺が西本願寺(本願寺派)と東本願寺(真宗大谷派)に分裂。 当寺は姫路城に入城した池田輝政の政策の下で本願寺派に属した。 1618年、姫路城主は本多氏となり、真宗大谷派が当寺から分立し姫路城下の船場(姫路船場別院 本徳寺)へ移った。
本願寺派の根本道場
当地は播磨国における本願寺派の根本道場として発展。 江戸時代、西国総録所として傘下に380余の寺院を擁した。 1868年、本堂が火災で焼失。 西本願寺から北集会所の建物を移築。 北集会所は新撰組が不動村屯所へ移る前に一時使用した。 1702年、松原八幡神社の祭礼である灘のけんか祭りの八家村地域の屋台の太鼓が作られた。 元は姫路城の登城太鼓であったが亀山本徳寺が譲り受け、後に八家村へと贈られたとか。
ハラミ、カルビ、ロースなどを味わうことができる焼肉の専門店。
牛すじやハンバーグ、カルビ、ホルモン鍋セット
店舗の入り口付近には自動販売機が設置され、牛すじやハンバーグ、カルビ、ホルモン鍋セットなどが冷凍の状態で販売されている。