
米どころ・山田錦の故郷で行列のできるお店がここにあり。巻き寿司がうまい!
兵庫米どころ・山田錦の故郷で行列のできるお店がここにあり。巻き寿司がうまい!
まいどまいど! 兵庫県の北播磨に位置する多可郡多可町。 大自然に恵まれ、自然豊かな環境で育った食材には定評があり、特に山田錦は兵庫県多可町のブランド米。 多可町で作られた素朴な味が特徴の巻き寿司は特に人気で、新聞や雑誌、テレビ等、ぎょうさんメディアに取り上げられてきた実績がありまんねん。 人口は約2万人と小規模ながらも、百年以上の歴史を持つ醤油醸造。 ここでは、地元で醸造された醤油を販売しているだけやなく、駄菓子、ワインも販売しているため、県外等、遠方からも多くの人が買い物に訪れてはんねんやとか。 なかでも、夏期に見頃を迎えるラベンダーのテーマパークとして知られるラベンダーパークでは、ラベンダーが美しい。 ほんでまた、鹿や地元で飼育された百日鶏を使用したチキンカツもおすすめでんな。 せやけど、このチキンカツ、実は1日5食と限定で、とても貴重。 等々、多可町では、行列のできる巻き寿司、幻の百日鶏など、美味しい食材が揃った魅力がぎょうさん詰まってまんねん。 巻き寿司、醤油をお土産にぜひ、多可町を観光してみてはいかがでっしゃろか。 ドライブのはじめに道の駅 山田錦発祥のまち・多可がおすすめ。
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巻き寿司が美味しいと評判で行列ができるお店。 開店前の朝早くから行列ができ、整理券が配られる。 1日1500本限定の巻き寿司を目当てに、駐車場は満車状態になり、昼過ぎには「完売!」という日も。 鯖寿司やお米など、地域のコンビニとしての一面も。 テレビや雑誌などこれまでに何度もメディアが取り上げた実績のある人気店。
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太巻き寿司
朝早くから現地に到着し、整理券を受け取って、やっとの思いで手に入れた太巻き寿司。 具はたっぷりで、きゅうりのシャキシャキ感、そして、ご飯そのものの旨みが口の中いっぱいに広がる。
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行列のできる太巻き寿司のお店・マイスター工房八千代さんの喫茶店。 コーヒーなどのドリンクをはじめ、マイスター定食、エビフライ定食も。
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別名、天船ステーション。 巻き寿司、太巻きなどを製造・販売しているマイスター工房八千代敷地内に位置する。 2007年、マイスター野菜部会が野菜売り場としてオープン。 2019年、リニューアルオープン。 多可町は神戸市東灘区にある甲南女子大学と連携協定を結び、地域おこし活動を目的とするサークル「村おこしプロジェクトCountry Road(カントリーロード)同好会」を発足。 学生らは月に1度、兵庫県多可町八千代区中村を訪れ、農作物栽培や加工品試作などに取り組んでいる。
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日本の国民の祝日の一つ「敬老の日」は、国民の祝日は法律によって「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」と定められた。 1947年、門脇政夫村長の「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨のもと、兵庫県多可郡野間谷村で村主催の「敬老会」を開催したことが始まり。 1947年当時は第二次世界大戦による混乱期で、身内を戦場に送り出した親族も多く、精神的に疲労していた。 村長は「養老の滝」の伝説に因み、農閑期にあたり気候も良いことから9月15日を「としよりの日」とし、55歳以上を対象に敬老会を開催。
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としよりの日
1948年、第2回「敬老会」において、9月15日「としよりの日」を村独自に祝日として制定することを提唱。 1950年、村長は周辺地域に祝日制定を働きかけ、兵庫県が「としよりの日」を制定。 1951年、中央社会福祉協議会(現全国社会福祉協議会)が9月15日から21日までの1週間を運動週間とした。
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一週間を敬老週間
1963年、老人福祉法で9月15日が老人の日、9月15日から21日までの一週間を老人週間と制定。 1966年、国民の祝日に関する法律が改正され、「敬老の日」が制定。 老人福祉法で「敬老の日」に改めて制定。 2003年、ハッピーマンデー制度の実施によって9月の第3月曜日に変更。 養老の滝伝説は717年、元正天皇が岐阜県内を流れる滝を訪れて養老の滝と命名、養老と改元し、全国の高齢者に賜品を下した。
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ドイツ・バイエルン地方のコテージをイメージさせる宿泊施設。 施設内にはテニスコート、野球・サッカーなどが楽しめるグランド、バレー・バトミントンなどが楽しめる体育館、夏季限定のプールなどがある。 また、手作り豆腐やそばなどの八千雄地区特産の体験ができる。
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兵庫県明石市と朝来市とを結ぶ国道427号沿いに位置する道の駅の一つ。 施設内には農産物・特産物販売所をはじめ、情報コーナー、休憩コーナーなど。 山田錦とは稲の品種の一つとして知られ、日本酒の醸造等に用いられてきた。 酒造好適米(酒米)の代表、酒米の王とも。 そもそも山田錦とは、兵庫県加西市にある兵庫県立農林水産技術総合センターの前身にあたる兵庫県立農事試験場が兵庫県明石市にあった当時の1923年、「山田穂」と「短稈渡船」を人工交配させて誕生。
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山田錦
1928年に兵庫県加東市の酒米試験地で産地適応性の試験が行われ「山田錦」と命名、奨励品種になった。 「山田錦」の「山田」とは「山田穂」から、「錦」とは命名当時の稲の品種名に一般的に用いられたことから。 多可町では山田錦の元となる山田穂を豪農・山田勢三郎氏が1877年頃に発見したとされ、俵に「山田穂」の焼き印を押して出荷したという。
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日本酒で乾杯の町
1993年10月1日の日本酒の日には「加藤登紀子日本酒の日コンサート」が開催され、「山田錦」を中心とした町おこし「ほろ酔いコンサート」を開催。 2006年、地方自治体として初めて「日本酒で乾杯の町」を宣言。 2019年、多可町は加藤登紀子氏を「山田錦PR大使」に任命。
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播州歌舞伎
道の駅 山田錦発祥のまち・多可内にある碑。 播州歌舞伎とは伝統芸能の一つとして知られ、現在は1994年に発足した多可町播州歌舞伎クラブが継承する。 代表演目は「玉藻前旭袂三の切り~道春館の段」など。 作品は親子の情を描いた内容として知られ、悪人の使者が人を切る際、傲慢な態度とは裏腹に、泣きの心情を表すのが見所であるとか。
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多可町余暇村公園は庭園として知られ、妙見山の麓に位置する兵庫県北播磨地域のレクリエーション施設。 公園内にはアスレチック、バラ園、日本庭園、宿泊施設、ゴルフ場、テニスコート、野球場など。 1987年、兵庫県立北播磨余暇村として開園。 広場には全長253mの滑り台「妙見スカイローラー」がある。
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銅精錬所跡展示館
かつてこの付近には鉱山があり銅を掘り出して精錬していたが、その精錬の跡をそのまま保存して展示している銅精錬所跡展示館がある。
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1889年に創業し、100年以上の歴史を持つ地域に愛されてきた足立醸造。 百年以上使い込まれてきたという自慢の木桶で国産有機醤油、兵庫県産の原材料を使った国産丸大豆醤油、黒大豆醤油の他、天然醸造の有機味噌や米こうじ味噌なども販売されている他、ワインなどのドリンク、お土産も販売している。
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笠形山自然公園センター内にあり、バーベキューや川遊び、あまご釣り、あまごつかみ、コテージ、芝生広場、滞在型貸農園などを楽しむことができる。 また笠形山の登山口にもなっており、ハイキングにも人気の名所。 レストラン、炊事棟やトイレなどがあり、バーベキューやキャンプなどが楽しめる。
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農林業公園では、リンゴ、ナシ、クリ、サクランボ、梅、キウイフルーツなどが植えられた果樹園、バーベキューハウスで楽しむバーベキュー、山椒、ワラビ、タラなどが植えられた山菜園、風力・太陽光発電施設の風力発電設備では、40kw、太陽光発電設備40kwを設置し、発電している。 このほか、宿泊もできるので、一日中楽しめる。
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ラベンダーが見ごろを迎える時期に多くの人でにぎわうラベンダーパーク。 ラベンダー園やごはん亭、喫茶ラベンダー、ショップ丘むらさきなどがある。 山の斜面一面にはラベンダー園が広がり、麓には、お土産やラベンダーに関する物品を販売するコーナーや食堂、そして、喫茶などもある。
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小春ロード(県道78号丹波加美線)
森安小春氏。 明治29年氷上町上新庄生まれ。 市原の森安家の養女となるも、養母が離婚。 山仕事の父と2人で切り盛りしていたが、父が仕事でけがをした。 父の看病、 日雇い労働、 戸主としての村づきあいなどをこなすうちに、名が知られるようになった。 市原がある杉原谷村と多可郡教育委員会から表彰。 雑誌で紹介され、全国から激励の手紙が届く。 全国の孝女・節婦三人の一人として表彰、県知事特別表彰。
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播州百日鶏のチキンカツ「多可ふるさと御膳」
多可町加美区で生まれ育った播州百日鶏を使用した定食とあって、1日5食という限定品。 播州百日鶏とは、肉のうまみであるイノシシ酸がピーク時に達するまで百100日間という時間をかけて育てたとか。 他、たまごかけごはんがあり、たまご、ごはんともにお替り自由。
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兵庫県明石市と兵庫県朝来市とを結ぶ国道427号線の中間地点にあたる道の駅。 多可町やその周辺で栽培された農作物をはじめ、金魚や錦鯉の他、お土産やコロッケ、鶏の唐揚げなどを販売している。 また、レストランが併設され、多可町を中心とする播磨名産の百日鶏を味わうことができる。 その他、周辺では古くから和紙・杉原紙の産地として知られ、和紙の販売や博物館もある。
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杉原紙(別名、椙原紙、水原紙)
別名、椙原紙、水原紙。 和紙の一種として知られ、兵庫県の無形文化財に指定、兵庫県の伝統工芸品の一つとなった。 かつては日本各地で生産されて大量に流通し、武士階級が特権的に用いる存在となり、鎌倉幕府の公用紙ともなった。 多可町が属する播磨国は古代からコウゾと呼ばれる原料を使用した製紙が活発で、特に杉原谷は藤原摂関時代、藤原氏の荘園(椙原庄)であった地域。
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幻の紙
武士に対して手紙を書く際には杉原紙を使用することが作法とされ、贈答品として定着したことも。 江戸時代、一般家庭にも使用されるようになったが、大正時代、西洋紙が流入するようになって衰退し、「幻の紙」となった。 1940年、言語学者の新村出と英文学者・和紙研究家の寿岳文章は、杉原神の発祥の地を兵庫県の杉原谷村(現在の兵庫県多可郡多可町)とした。 1972年、杉原紙研究所が設立され、和紙の生産を再開。
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兵庫県多可郡多可町加美区鳥羽にある道の駅「杉原紙の里・多可」付近にあるキャンプ場。 レストラン、炊事棟やトイレなどがあり、バーベキューやキャンプなどが楽しめる。