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江戸情緒を伝承する老舗が軒を連ねる浅草の離れ座敷-駒形橋

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江戸情緒を伝承する老舗が軒を連ねる浅草の離れ座敷-駒形橋

シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅。 その6橋目は台東区駒形と墨田区東駒形の間に架かる「駒形橋」です。 白鬚橋や言問橋のところでも出てきた「震災復興橋梁」9橋のうち内務省復興局が建造した6橋のひとつ。 都道463号線、通称「浅草通り」が上を通り、真っ直ぐ西へ進むと上野駅に突き当たります。 駒形橋界隈は水戸街道沿いにあったため、江戸時代の昔から繁華だった場所。 江戸中期までは蛍の名所としても知られていたとか。 浅草側にはどじょう料理、うなぎ料理、麦とろ飯の老舗が軒を連ね、江戸情緒を今に伝えています。  最寄りの鉄道駅は都営浅草線浅草駅で、ちょうど西詰の真下にあります。

  • 完成は1927(昭和2)年5月。 橋の名は西詰に鎮座する浅草寺駒形堂にちなみます。 江戸時代は吾妻橋と駒形橋の真ん中辺りに「駒形の渡し」がありました。 吾妻橋の架橋で利用者は減りましたが、1876(明治9)年まで運行されていた記録が残っているそうです。 駒形橋は全長146.3mの青いアーチ橋。 中央部はアーチの下、その両側はアーチの上を、浅草通りが通っています。

  • 駒形橋を西詰に出てすぐ右側に佇んでいる御堂。 それが橋名の由来ともなった「浅草寺駒形堂」です。 読み方は「こまがたどう」…別名「こまんどう」とも。 時は飛鳥時代、推古天皇36(628)年3月18日早朝。 隅田川で漁をしていた檜前[ひのくま]浜成[はまなり]と竹成[たけなり]の兄弟の投網に、一体の観音像が引っかかりました。 文化人の土師中知[はじのなかとも]に見せたところ、 「これは有り難い!観音菩薩の御尊像じゃ!」と。 檜前兄弟は自ら出家し、屋敷を寺に改めました。 それが浅草寺の創始だと伝わっています。 で、その観音様が上陸された場所が、ここなのだとか。

    • 駒形堂は毎月19日に開扉されるので参拝できます

      創建は942(天慶5)年、雷門と同じ平公雅が建立しました。 江戸時代は川岸に舟着場や船宿もあり、大変賑わっていたそうです。 御堂は元禄年間(1688-1704)まで隅田川の方角を向いてました。 駒形堂の名は隅田川を往く舟から見ると白駒が駆けるように見えたからとも。 浅草寺の参道にあったこの御堂に絵馬を掛けたので「駒掛堂」が転じて「駒形堂」になったとも伝わっています。

    • 境内に立つ「戒殺碑(かいさつひ)」とは何か?

      駒形堂は何度も火災に遭い、1742(寛保2)年の再建時から川に背を向けて建てられるように。 現在の御堂は2003(平成15)年11月に建立されたものです。 なにせ檜前兄弟が漁をしていたことが浅草寺誕生のきっかけ。 なので駒形堂は隅田川を泳ぐ魚類の無事を祈念して建てられたものです。 その証が付近の魚類の殺生を禁じた石碑「戒殺碑(かいさつひ)」。 1693(元禄6)年3月、境内に立てられました。。

  • 「ゼロハリバートン」「トゥミ」などのブランドで知られる鞄メーカーのエース株式会社が運営する鞄専門の博物館。 創業者の新川柳作が1958(昭和33)年の欧州視察旅行で独オッフェンバッハ市の皮革博物館を見学したときのこと。 無数に展示されている皮革製品の中で、鞄が10点程度しかなかったことに物足りなさを覚えたのがきっかけ。 国内外の職人たちの製品を精力的に蒐集し、1975(昭和50)年に企業内博物館「世界のカバン館」を開設。 2010年に創業70周年を迎えたのを機に「世界のカバン館」として内容を大幅にリニューアル、現在に至ります。

    • 8階のビューラウンジからは隅田川越しに東京スカイツリーが望めます

      館内には世界約50カ国から集めた550点余りの珍しい鞄や、著名人から寄贈されたバッグが展示されてます。 また、鞄の起源や発展史など歴史の中で果たしてきた役割や、鞄作りの技術解説などをパネルで紹介。 さらに、鞄に関する情報を発信する企画展なども開催しています。 企業内博物館なので入館料は無料ですが、土・日・祝・夏季・年末年始は休館です。

  • 「泥鰌」と書いて「どじょう」と読みますが「どぢやう」「どじやう」が正しい表記とか。 田んぼで獲れる淡水魚の泥鰌は蛋白源が不足しがちの江戸で入手しやすい食材でした。 明治時代以降も泥鰌屋は東京に随分とあったそうですが、今ではめっきり減りました。 その数少ない泥鰌屋を代表する名店が、ここ。 駒形本店のほか渋谷にも支店があります。 創業は1801(寛政13/享和元)年、徳川11代将軍家斉の時代。 武蔵国(埼玉県北葛飾郡)出身の初代越後屋助七が江戸に出て修行を積んだ後、浅草駒形に開いた飯屋が原点です。 浅草寺の参道に面していたことと、浅草寺御開帳が重なったこともあり店は大繁盛したそうです。

    • 初代のアイデアが江戸に「どぜう」を定着させました

      店名を「どぜう」にしたのは初代越後屋助七のアイデアです。 1806(文化3)年の大火で店が焼けた際、四文字の「どぢやう」では縁起が悪いので改称を決意。 有名な看板職人「撞木屋仙吉[しゃもくやせんきち]」に、表記の間違いを承知で奇数文字の「どぜう」と書かせました。 これが街中で話題を呼び、江戸末期には他の泥鰌屋も真似て看板を「どぜう」に書き換えたとか。 仙吉の墨跡は今も暖簾に受け継がれています。

    • 七代目になる現在の店舗ですが創業時の店構えを受け継いています

      関東大震災や第二次大戦など、現在に至るまで店は何度か全焼。 現在の建物は七代目です。 店構えは江戸時代の商家造りを代表する建築様式の「出し桁造り」。 大名行列を見下ろすことのないよう、通りに面した二階に窓を設えてないのが特徴です。 一方、外観に比べて店内は広目。 1階の入込席は江戸の風情を今に伝える貴重な空間です。 地階と2階に椅子席、3階は宴会もできる座敷席と、各階ごとに趣きが異なります。

    • 看板の「どぜう」のみならず、クジラやナマズの料理も名物!

      1848(嘉永元)年発行の『江戸名物酒飯手引草』にも掲載された看板メニュー「どぜうなべ」。 酒に漬けて酔わせた泥鰌を味噌汁で煮込み、さらにタレで煮込むという手の込みようです。 また、二代目助七が売り始めた鯨[くじら]料理の「くじらなべ」は今も健在。 さらに天然鯰[なまず]を頭から尻尾まで丸ごと醤油タレで煮込んだ冬季限定メニュー「なまずなべ」もまた、江戸のグルメを代表する名物料理です。

  • 「美味しんぼ」2巻3話「そばツユの深味」に登場する東京一の蕎麦の名店「雷門やぶそば」のモデルとなった店がここ。 現在「藪」を名乗る蕎麦屋は星の数ほど存在しますが、元をたどれば神田須田町で1880(明治13)年に創業した「かんだやぶそば」に行き当たります。 並木藪蕎麦は「かんだやぶそば」創業者の初代堀田七兵衛の三男、堀田勝三が暖簾分けして1913(大正2)年に開店しました。 ちなみに堀田勝三の次男、堀田鶴雄が1954(昭和29)年、暖簾分けで文京区湯島に「池の端藪蕎麦」を開店。 これら三店舗が藪の本流を受け継ぐ「藪蕎麦御三家」と呼ばれています。

    • 江戸前蕎麦屋の古き良き伝統を受け継ぐ、落ち着いた雰囲気の店内

      並木藪は江戸の粋を体現している、東京に残された数少ない店舗。 とはいえ店構えは普通の民家調で、 それほど仰々しくはありません。 むしろ一戸建ての素朴な造作が、ビル化された店舗にはない温か味を感じさせてくれます。 客層は常連や蕎麦愛好家が主ですが、初めて訪れる一見の観光客にも敷居が低い庶民的な店ではあります。 ただ、休日は行列必至の大混雑は確実。 なので雰囲気を堪能するのなら平日の夕方が狙い目です。

    • 江戸の蕎麦には、それなりの流儀があります

      藪蕎麦の特徴は「挽きぐるみ」と呼ばれる、蕎麦の実を殻ごと挽いた黒っぽい麺。 味も香りも強い麺に釣り合うよう、 つゆも醤油の味を強調して塩辛くなってます。 このため、つゆに蕎麦を半分程度つけて食べるという江戸風の食べ方が生まれました。 江戸時代の蕎麦は食事ではなく、コーヒーみたいな「嗜好品」。 蕎麦の量は当然ながら少なく、蕎麦屋は喫茶店みたいなものでした。 食事としての蕎麦は屋台が担っていたのです。

  • 「麦とろご飯」といえば、麦飯に擦り下ろした自然薯の汁をかけて食べる料理。 東海道五十三次の鞠子[まりこ]宿に今もある「丁子屋」という店が、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場したり松尾芭蕉が一句残したりして有名です。 その「麦とろご飯」を看板メニューに掲げ、1929(昭和4)年に創業した老舗が「浅草むぎとろ」。 この店の特徴は「麦とろご飯」に加え、季節の旬の食材を用いた会席料理。 また、きめ細やかな接客サービスも高い評価を得ています。 そうした面から敷居が高そうな店にも思えますが。 ランチもやっているので昼なら気軽に利用できます。

    • ランチが手軽に食べるのなら雷門の斜向かいにある雷門店が狙い目!?

      夜メニューの懐石料理は4500円から、総料理長おまかせ懐石1万5000円まで。 ランチはミニ懐石・定食で2000~3900円。 そんな中、平日の11時~13時半に1000円で「むぎとろバイキング」を実施しています。 ただし大行列必至なので、それなりの覚悟が必要かも知れません。 そこで狙い目なのが雷門の斜向かいにある「雷門店」。 奥のカウンターで「むぎとろ」が食べられます。

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  • 浅草には鰻屋が数多くひしめいています。 中でも前川は約200年前の化政時代に創業した老舗。 最初は川魚問屋でしたが、初代勇右衛門が鰻料理に転向。 店が大川に臨むところから屋号を「前川」としたそうです。 当時は川に面して船着場があり、客は舟で通ってきたそうな。 その後、関東大震災の都市計画で現在地に移転しました。 最近では新丸ビルや東京ソラマチにも支店を出しています。 客室はすべて和室で、個室や座敷などバラエティに富んでいます。 でもフラリと一人で利用するのは難しそうです。 ここの鰻は16回も焼き返すのが特徴。 かの大作曲家山田耕作も「室内楽を思わせるデリケートな味」と讃えていたそうです。

    • 鰻は養殖モノ「坂東太郎」ですが、予約すれば天然鰻も味わえます(ただし時価で季節限定)

      鰻は蒲焼きと白焼きと両方あります。 200年の歴史を重ねたタレを味わうなら蒲焼き。 鰻そのものの味わいを堪能したいのなら白焼き。 両方に加え、う巻も楽しめるコース「前川- 全11品-」(1万4700円)が一番人気とか。 用いる鰻は養殖の「うなぎ坂東太郎」という品種。 また、5月上旬から11月下旬にかけては、天然うなぎも提供しています。 ただし漁獲量が少ないので時価、しかも要予約とのことです。

  • ここまで老舗の名店が続いていたので、最後は奇天烈な店を訪ねてみました。 ここは東詰から住宅街の中を少し歩いたところにあるオシャレなカフェ。 カフェを名乗っておりますが、メインメニューはカレー…ていうか、ほぼカレー屋です。 メニューはチキン/ポーク/シーフード/きのこ/野菜などの正統派から、ひき肉カレーやドライカレーまでバラエティ豊か。 トッピングも豊富なので多彩なカレーメニューが楽しめます。 自家製カレースパイスも販売しており、公式サイトにアップされているレシピ通りに作ればお店の味が自宅でも楽しめますよ。

    • 自転車で来店するとワンドリンクサービス! しかもフロアの奥には何故か音楽スタジオが…

      店内にはロードレーサーがディスプレイとしてあしらわれ、なかなかラテン系の雰囲気が横溢。 自転車で来店してカレーを注文すると1ドリンクをサービスしてくれます。 しかも空気入れや簡単な工具を用意しているそう。 自転車の調子が悪かったら気軽に言って下さいとのこと。 店の奥にはピアノやドラム、パーカッション、アンプやPAを備えた本格的な音楽スタジオを完備。 ちょっとした音楽ライブも開催できます。

    • これが食するものを震撼させる賛否両論の「元祖いちごカレー」だ!

      だがしかし!店の名を世に知らしめたのは正統派カレーではなく。 このキワモノっぽい「元祖いちごカレー」です。 1999年のデビュー以来、食するものを戸惑わせ続けてきた看板メニュー。 提供は概ね11月中旬から翌年5月上旬にかけての冬から春まで。 いちごを調達する都合があるので、電話かメールによる完全予約制です。 現在は運が良ければ夜だけなら予約なしでもありつけるかも…だそうです。

    • 冬がいちごなら、やっぱり夏は「こおりカレー」! アイスクリームカレーなら通年しかも予約不要でOK!

      冬の限定メニューが「いちご」なら。夏のそれは全てが冷たい「こおりカレー」! 6月から9月までの限定メニューです。 それまで待てないよ! という向きには通年メニュー「アイスクリームカレー」も。 こちらは予約不要です。 そして隠れた(?)裏メニューが「人形焼きカレー」(要予約)。 ルーに人形焼きが浮かんだその有り様は不気味以外の何者でもありません。

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むぎとろ食べてきました!日替り1品が煮物でラッキーでした♡

nishi
nishi

16/01/28

経堂 薫
ンまそー!! 昼ならランチバイキング1000円がオトクですよ

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