深紅の橋梁は浅草の象徴!酒に甘味に洋食と美味三昧-吾妻橋
東京深紅の橋梁は浅草の象徴!酒に甘味に洋食と美味三昧-吾妻橋
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅。 その5橋目は台東区花川戸と墨田区吾妻橋を結ぶ、まさに浅草の象徴「吾妻橋」です。 西詰にある浅草水上バス乗り場の前は絶好の東京スカイツリー撮影スポット。 いつも国内外の観光客でごった返しています。 西へ向かうと東武浅草駅、EKIMISE、神谷バー、雷門、仲見世へと続く浅草観光のメインストリート。 東へ向かえばアサヒビール本社から東京スカイツリーへと続く本所観光の道。 街角には歴史と伝統の香りを漂わせる老舗の食べ物屋が軒を連ねます。 深紅の吾妻橋を渡って浅草と本所の美味三昧、堪能してみませんか?
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木造の初代吾妻橋が架けられたのは1774(安永3)年。 隅田川が当時「大川」と呼ばれていたことから、「大川橋」と呼ばれていました。 隅田川に5番目(千住大橋/両国橋/新大橋/永代橋)に架けられた橋であり、江戸時代に最後に架けられた橋でもあります。 1874(明治7)年に厩橋が架けられるまで、なんと100年間も隅田川に新しい橋が一本も架けられなかったことになります。 1876(明治9)年、2代目に架け替えられ、正式に「吾妻橋」と命名されました。 「吾妻橋」という橋名の由来は諸説あるそうですが。 橋から浅草通りを東へ向かった端に鎮座する吾嬬[あづま]神社に由来する説が有力といわれています。
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三代目は日本初の大型鉄橋! しかし関東大震災で被災し架け替えられることに
1885(明治18)年、川が氾濫して橋が流失。 2年後の1887(明治20)年、日本初の大型鉄橋として再架橋されました。 この3代目は人道、車道、鉄道(東京市電)橋の3本が平行して架けられていたそうです。 しかし1925(大正12)年の関東大震災で木製の床板が焼落。 震災復興事業で一度は再使用されたのですが結局、架け替えられることになりました。
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四代目は震災復興橋梁! 東京大空襲も乗り越え、今でも現役バリバリです!
言問橋のところで9つの「震災復興橋梁」が造られましたことに触れましたが。 この4代目は東京市が建造した3橋(厩 橋/両国橋)のひとつです。 着工は1929(昭和4)年。 浅草の繁華街に近いため人通りが多く、航行船も多い中、旧橋を撤去しつつ同時に新橋を建設する難工事だったそう。 1930(昭和5)年12月20日に「渡り初め式」が行われ、翌1931(昭和6)年6月に開通しました。
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浅草のランドマークともいえる雷門。 正式名称は「風雷神門[ふうらいじんもん]」といいます。 ちなみに右が風神、左が雷神です。 942(天慶5)年、平公雅[たいらのきんまさ]が駒形付近に建てたのが始まり。 鎌倉時代に現地へ移築され、同時に風神雷神が初めて祀られたそうです。 雷門は1642(寛永19)年、1767(明和4)年、1865(慶応元)年と過去3回、火災に遭ってます。 現在の門が復興再建されたのは最後の焼失から95年後の1960(昭和35)年のこと。 つまり雷門は幕末から高度経済成長期にかけて100年近く、この世に存在していなかったのです。 現在の存在感からは想像もできない衝撃の事実です。
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現在の雷門を建てたのは、神は神でも“経営の神様”松下幸之助!その銘は大提灯にクッキリと刻まれています
現在の雷門と大提灯は松下電器産業…今のパナソニックですね…の創業者、松下幸之助が寄進したもの。 大提灯にはパナソニックではなく、今でも「松下電器産業株式会社 松下幸之助」と銘が刻まれています。 「雷門」と記された提灯が初めて奉納されたのは1795(寛政7)年。 その姿が浮世絵などに描かれ、日本中に広まっていきました。 大提灯は高さ3.9m、重さは何と700kg! 悪天候の時は小さく畳まれますよ。
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日本最古の商店街「仲見世」も今や異国情緒を味わえるストリートに変貌!?
雷門から浅草寺へと続く、日本最古の商店街の一つ、仲見世。 誕生したのは元禄から享保にかけての時代(1688~1735)と言われてます。 1885(明治18)年に煉瓦造りで近代化されますが、関東大震災で壊滅。 1927(大正14)年に鉄筋コンクリート造りで朱塗りの桃山風に再建されました。 約250mの通りを歩けば、今では日本語より外国語のほうが多く聞こえるインターナショナルなストリートになりました。
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浅草といえば人力車ですが…定着したのは実はつい最近です
雷門の前で待機する人力車は、今や浅草の風物詩。 しかし、もともと浅草に人力車で移動する文化は存在していませんでした。 観光用として定着したのは実はつい最近のこと。 ヴェネチアのゴンドラみたいなものでしょうか。 時間は10分から2時間までとバラエティに富んでます。 人数も1人から大勢での団体利用まで何人でもOKです。 ただ、いつも客引き合戦やってるので、利用する気がない時はキッパリ断りましょうね。
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1931(昭和6)年、東武鉄道は隅田川を超えて念願の浅草進出を果たし、巨大なターミナルビルを建設しました。 現在では池袋、新宿、渋谷とターミナルデパートは数多くありますが、どれも先にあった駅舎の上にデパートを建てた格好。 しかし東武浅草駅は先にビルを建て、その2階にホームを後から設置するという画期的な設計を施します。 ビルの巨大さは吾妻橋の項目にある古写真を見れば一目瞭然。 1929(昭和4)年に開業していた梅田駅阪急百貨店の大きさを凌駕したほど。 設計者は鉄道省で技師・建築課長を務めていた建築家の久野節。 1930(昭和5)年に落成した大阪の南海難波駅・高島屋百貨店も久野が設計したものです。
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日ノ本一ノ大繁華街浅草ニ巨人松屋上陸ス!
ターミナルビルにはテナントとして松屋百貨店浅草支店が入居しました。 1928(昭和3)年に池上電鉄五反田駅で開業した白木屋百貨店五反田分店に次ぐ東京で2番目のターミナル・デパートです。 しかし白木屋五反田店の店舗は2階建てと小さ目。 本格的なターミナル・デパートは浅草松屋が東京初と言っていいでしょう。 ちなみに池上電鉄は現在の東急池上線、江戸時代以来の歴史を誇った白木屋百貨店は既に消滅しています。
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沈滞期には外壁をカバーで覆われ、デパートなのか駅ビルなのか何なのか分からない状態に
当時、日本一の繁華街を自負していた浅草の商店主たちは、銀座の大百貨店松屋の進出に戦々恐々としたそう。 東京大空襲で被災したものの鉄筋コンクリート製のビルは焼け残ります。 戦後、浅草の歓楽街としての存在感が失われていく中、1974(昭和49)年の改装で外壁が板で覆われてしまいました。 ここに昭和初期アール・デコ調デザインが姿を消すことに。 その後、松屋は2010年に上階を閉鎖して店舗を縮小します。
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東京スカイツリーの開業に合わせて昭和初期アール・デコ調デザインが復活! そして松屋からEKIMISEに変身!
転機が訪れたのは2012年の東京スカイツリー開業。 東武鉄道はビルを覆う板を撤去し、外壁を修復して昭和初期アール・デコ調を復活させました。 折しも東京駅丸の内駅舎が保存復原されたのと同じ年です。 閉鎖されていた上階部分は松屋と切り離し、改装して「EKIMISE[エキミセ]」というショッピングモールになりました。 屋上広場の「ハレテラス」は絶好の東京スカイツリー観賞スポットとして人気を呼んでます。
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浅草1丁目1番地1号…浅草のド真ん中に1軒の古ぼけたビルが立ってます。 1880(明治13)年創業の「神谷バー」。 そのルーツは初代神谷傅兵衛が始めた酒の一杯売り屋「みかはや銘酒店」。 1912(明治45)年に内装を西洋風に改造し、屋号を「神谷バー」に改称。 日本で「バー」という称号が用いられたのは、これが初めてのことでした。 1921(大正10)年、現在も使用している「神谷ビル」が落成。 東京大空襲では一面の焼け野原となった浅草の街で、神谷バーと東武浅草駅の鉄筋コンクリート製ビルだけが焼け残っていたそう。 神谷ビルは落成から90年後の2011(平成23)年、登録有形文化財に指定されました。
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一人で行っても隣席の見知らぬ酔客と気軽に打ち解けられる…それが神谷バーの魔術!
バーといってもカウンターがあってバーテンダーがいて…という店ではありません。 1階はビアホールスタイルでテーブル席のみ。 入り口で食券を買い、空いている席に適当に座ります。 ちなみに追加オーダーはウェイターかウェイトレスに注文。 もちろんキャッシュ・オン・デリバリー(現金引換)です。 いつも混んでいて大抵相席になるのですが。 見ず知らずの隣人と交わす会話もまた楽し、格好の酒肴です。
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レストランや割烹で味わうデンキブラン…明治時代の文明開化が疑似体験できるかも!?
バーは1階のみ。 2階はレストラン。 3階は割烹です。 ちなみにデンキブランや生ビールなどアルコール類の値段は各フロアとも同じです。 洋食や和食と共に味わうデンキブランというのもまた乙なもの。 明治時代の文明開化が疑似体験できるかも知れません。
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「デンキブラン」は成分不明の恐ろしい酒…というのは迷信です!
神谷バーといえば「デンキブラン」。 1882(明治15)年に神谷傳兵衛が製造販売を始めた速成ブランデーがルーツです。 当時は電気が珍しく、ハイカラなものに「電気◯◯」と命名するのが流行。 しかもアルコール度数が45度と高かったこともあり。 そのピリピリ来る味わいが「電気」とダブり、商品名が定着したとか。 現在は30度の「デンキブラン」と40度の「電氣ブラン(オールド)」の2種類が販売されています。
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甘くて飲みやすい割に度数が高いので、飲み過ぎた挙句の泥酔には要注意!
デンキブランの正体はベースのブランデーにジン、ワインキュラソー、薬草などをブレンドしたリキュール。 配合比は秘伝とのことです。 神谷バーのオススメはビールをチェイサーに、デンキブランをストレートで飲むスタイル。 甘くて度数が高いので苦いビールとの相性が良いのだとか。 デンキブランは本館に隣接する売店「神谷バー賣場」で購入可能。 また、製造販売元であるオエノングループの通販サイトからも入手できます。
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神谷バーもうひとつの名物は…ハチブドー酒!
もともと神谷傅兵衛は横浜の外国人居留地で、フランス人の経営する洋酒醸造所で働いていました。 そこで日本人に適した葡萄酒の国内醸造を決意します。 独立して「みかはや銘酒店」を開業後、日本人の口に合うよう輸入葡萄酒に甘く味付けした再製葡萄酒を販売。 この「蜂印香竄[はちじるしこうざん]葡萄酒」が大ヒット。 これが現在も販売されているハチブドー酒のルーツとなりました。
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浅草をはじめ下町を愛した作家、永井荷風。 戦前から戦後にかけて日常を綴った日記「断腸亭日乗」の、1950年代の頁で毎日のように登場するのがこの店です。 創業は1949(昭和24)年。 日記には翌1950(昭和25)年からボチボチ登場。 1958(昭和33)年一杯までアリゾナ通いは続きます。 その名が消えたのは1959(昭和34)年に入ってから。 日記は同年4月29日で終焉。 翌日、荷風は81歳で亡くなりました。 その後アリゾナは一度閉店したのですが。 客からの要望で1997(平成9)年に再開し、現在に至っています。 店内には伝説の名写真家、木村伊兵衛が撮影した荷風の写真も飾られています。
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名物は荷風が好んだ「チキンレバークレオール」と、1週間煮込んだ「ビーフシチュー」
荷風のお気に入りは「チキンレバークレオール」でした。 鶏肉と鶏のレバーをトマトソースで煮込んだ洋風の煮込み料理です。 トマトの酸味がレバーの臭みを消し去り、デミグラスソースが肉の味わいを引き立てます。 また、国産黒毛和牛を一週間かけて煮込んだビーフシチューも看板メニュー。 ただしメニューの価格が総じて高目なので、気軽に味わうならランチタイムが狙い目でしょう。
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浅草寺幼稚園の近く、仲見世から裏路地に入った角に立つ甘味処。 それが1854(安政元)年創業の老舗、梅園です。 浅草寺の塔頭の一院だった梅園院の一隅で、参拝客のために開いた茶店がルーツ。 初代が開発したメニュー「元祖あわぜんざい」が一斉を風靡し、梅園の代名詞となりました。 吉原華やかなりし頃は遊郭などで酔い潰れた江戸っ子が、帰りしなの朝に立ち寄ってあわぜんざいを酔い覚ましに食べていたそうな。 それが今や甘味処というより外国人観光客も訪れる観光名所と化し、いつ行っても混雑しています。 店内で賞味する場合、タイミングが悪ければ相当待たされる場合もあるみたいです。
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伝統を守り続ける「あわぜんざい」の味は創業時から何一つ変わらない、まさに老舗の歴史そのもの
粒あんを液状にした普通のぜんざいと異なり、梅園ではこしあんを具材の上にかけるのが特徴。 「元祖あわぜんざい」は餅に粟ではなく餅きびを使います。 餅きびは粟より少し大き目の、米の一種。 餅きびを半搗きして煉り上げ、蒸して餅にし、甘過ぎず後味がサッパリしたこしあんと合わせます。 あんの甘味と餅の渋味が調和した味わいは創業時から何一つ変わっていないそう。 他にも栗ぜんざいやあんみつも人気です。
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トンカツでもステーキでもない「やきかつ」の元祖。 東武浅草駅から北へ4〜5分ほど歩いたところにあります。 創業は1937(昭和12)年といいますから80年近い歴史を誇る老舗。 最初は浅草ではなく上野で開業しました。 上野は今も多くの店が軒を連ねるトンカツの激戦地。 その中で特徴を打ち出すべく、衣の付いた肉を“揚げる”のではなく“焼く”手法で勝負に出たのではないか…と思われます。
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フランス料理「コートレット」を和風にアレンジ…それが「やきかつ」!
「やきかつ」とはフライパンで両面を焼いたカツのこと。 初代店主がフランス料理「コートレット」をヒントに創作したそうです。 コートレットとは衣を付けた牛や豚のスライス肉をフライパンなどでソテーした料理。 これが日本では豚肉を大量の油で揚げる「とんかつ」として独自の発展を見せました。 桃タローではフライ式「とんかつ」に向かわず、コートレットの技法を生かした揚げ焼き式「やきかつ」となったわけです。
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油控えめ…衣サクサク…口当たり柔らか…ここが「とんかつ」と違う!
コートレットは日本で「カツレツ」と呼ばれ、とんかつとは区別されています。 そのカツレツに店独自の技法を加えて編み出したのが「やきかつ」。 とんかつに比べて油っこくなく、衣もサクサクで肉の口当たりも柔らかいのが特徴です。 ただし、とんかつと違ってフライパンで1枚ずつ焼くため調理に時間がかかるのがネック。 それでも、とんかつとは違った独特の食感と風味を求めて、今も客足は絶えません。
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吾妻橋東詰で異彩を放つ黒いビル「スーパードライホール」。 その1~2階にあるアサヒビールのお膝元ビアホールです。 設計はフランスの有名デザイナー、フィリップ・スタルク。 目印は屋上で金色に輝く巨大なウン◯… ではなく、スタルクがデザインした「炎のオブジェ」。 まぁ、地元では昔から「ウ◯コビル」などと呼ばれておりましたが。 ちなみに「フラムドール」とはフランス語で「金の炎」という意味。 これは屋上に乗っかってるオブジェの名称でもあります。 左側のビルはアサヒビール本社「アサヒビールタワー」。 金色の下部はビアジョッキにナミナミと注がれたビールを、上部のモジャモジャは泡をイメージしているそうです。
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歴史的遺産の神谷バーと吾妻橋を挟んで東西に対峙する未来型ビアホール
アサヒビールの本社に隣接しているので、ビールのラインナップが充実しているのが最大の特徴。 またアサヒビール系列で朝ドラ「マッサン」でもおなじみニッカウヰスキーの「スーパーニッカ」や「竹鶴17年」も。 フードメニューも結構充実。 超厚切りの食パンを使った「アッ!とびっくりオリジナルグラタン」や、数量限定「伊予麦酒牛100%粗挽きメンチカツ」、オリジナル「ビアジョッキサラダ」がオススメです。
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隣接するブルワリーで醸造したクラフト地ビール「隅田川ブルーイング」が味わえます!
ここではアサヒビール工場直送の生ビール(スーパードライ/ドライブラック/ドライエクストラコールド/ドライプレミアム/黒生/熟撰)が味わえます。 また、贅沢な製造工程で少量生産の飲食店限定生ビール「琥珀の時間[こはくのとき]」もあります。 さらにクラフト地ビール「隅田川ブルーイング」は、隣接するブルワリーで醸造しているので出来立てが賞味できます。 やはりビールも出来たてを飲みたいものですね。
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東詰から浅草通りを真っ直ぐ進み本所吾妻橋の交差点を左折。 しばらく行った先の左手にある、なんてことのない下町の洋食屋。 だがしかし! 見かけだけで判断してはなりません。 1913(大正2)年創業という100年余の歴史を誇る老舗洋食店。 そして何より… 今や多くのカフェなどがメニューに載せている「ふわとろオムライス」。 これを50年以上も前に考案したのが、何を隠そう先代(2代目)店主。 そう、ここは「ふわとろオムライス」発祥の店なのです。 もちろんオムライス以外のメニューも安定感バツグン! 元々ステーキハウスなので特に肉料理はテッパンです。 昼はランチメニュー、夜はコースメニューもあります。
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チキンライスの上に半熟オムレツを乗せナイフでスッと切る…目と舌で味わう「オリジナル半熟ふわとろオムライス」
チキンライスの上にフワリと乗せたオムレツ。 ナイフでスッと切れ目を入れれば、中から溢れ出すトロトロの半熟卵! その上からタップリかけられる濃厚なドミグラスソース。 発祥の店で堪能する「半熟ふわとろオムライス」の味わいは、やはり他の店とは一味も二味も違います。 米も一週間かけて自然に干された天日乾燥米を使用するこだわりぶり。 なお、ランチタイムならディナータイムよりリーズナブルに味わえますよ!
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季節限定「的矢牡蠣のカキフライ」は店主のこだわりが詰まった必食のメニュー
店主が市場で20種類以上の牡蠣を試食してもお眼鏡に適う代物に出会えず。 人伝に辿って行き着いた先が三重県的矢湾の牡蠣でした。 取引当初は配達してもらえず、1シーズンの間、的矢湾まで受領のために通ったそうです。 現在では毎朝、クール便で直送されてくるとか。 的矢牡蠣フライの特徴は生臭くなく、小ぶりでプリッとした食感。 シーズンは10月~2月ぐらいでしょうか。
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東詰を真っ直ぐ進み、墨堤通りを右折したところに佇むモツ焼きの名店。 ここ本店の他にも支店が2つ、押上と森下にあります。 店内は、ざっかけない下町の居酒屋という雰囲気。 ただ、名店だけに混雑していることが多いです。 ピーク時には店員が捌ききれてないこともあるので。 その時は辛抱強く待ちましょうね。 飲み物は結構なラインナップが揃ってます。 ビールは、やはりアサヒのお膝元らしくスーパードライ。 日本酒よりは焼酎の品揃えが充実。 酎ハイ系もありますが、この手の店には珍しくホッピーは置いてません。 あとはウイスキー(やはりニッカ)、ワイン、梅酒ってとこでしょうか。
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串物以外にも酒肴メニューは大充実!
暖簾に「もつやき」と染め抜いているだけあり、もちろん串物のラインナップは充実しておりますが。 ほかにも刺し身に煮魚、揚げ物に焼き物といった料理の種類が半端無くあります。 さらには「おつまみ」…煮込みや枝豆、餃子、ところ天など。 もう何を食べればいいのか分からなくなるほどの品数がメニューに羅列されています。 中でも店名を冠した煮込みハンバーグ「稲バーグ」は、これだけでも立派なビールのアテになります。
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何人かで訪れた際には満腹必至の人気メニュー「中華風餃子鍋」をお忘れなく!
もつ焼きの店なのに、なぜか鍋物もあります。 特に珍しさを感じるのが「中華風餃子鍋」。 結構ボリューミーなので、複数人で訪れた際には注文されてみては? ちなみに私は一人でしか行ったことがないので、未だかつて食べたことはありませんが。 また、〆のお茶漬けや焼きおにぎりなどの食事メニューも充実。 焼きそばやお好み焼き、さらには店名を冠した「稲グラタン」などの粉モン系も。
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