空は晴れ渡り、壮大な日本海を餘部鉄橋「空の駅」から
兵庫空は晴れ渡り、壮大な日本海を餘部鉄橋「空の駅」から
まいどまいど! JR西日本の山陰本線の停車駅の一つ「余部駅」には目の前に40~50mの高さを誇る餘部鉄橋がおまして、裏の山からは餘部鉄橋と日本海の壮大な景色を楽しむことができまんねん。 ほんでまた、餘部鉄橋には初代と2代目の2代が存在し、2代目は現役の餘部鉄橋として。 初代の餘部鉄橋は一部を現存し、展望台「空の駅」として一般開放されてまんねん。 空の駅からも裏の山と同様、日本海の壮大な景色を楽しむことができまっせ! その他、餘部鉄橋の南には、ドライブに便利なパーキング「道の駅」があり、お土産を探したり、レストランで満腹に。 さらには、ドライブで少し走った場所には、かに料理が楽しめるかに道場もおまっせ! ほんで、しばらく離れた場所には地元名産として知られる但馬牛を思う存分、堪能することのできる村岡ファームガーデンがおまして、ここではお土産として、また、レストランが併設され、但馬牛を味わうこともできまんねん。 っちゅうことで、餘部で絶景を、カニで舌鼓を、そして、但馬牛を堪能する今回のお出かけプラン。 ぜひ、休日の楽しいドライブの参考にしてみてください。
香住漁港で水揚げされている香住ガニがモチーフ。 1997年、水揚げされた。 香住町など町の魅力や情報を発信している。
JR西日本山陰本線の鎧駅と餘部駅間にある橋梁(単線鉄道橋)。 現在、余部橋梁は2代存在し、初代の旧橋梁は鋼製トレッスル橋。 1912年に開通し、2010年に運用を終了した。 2代目の現橋梁はエクストラドーズドPC橋で、2010年に供用が始まった。 餘部駅の裏山には展望所が設けられ、同駅ホームより高い位置から眺めることができる。 奥には、日本海が広がり、撮影ポイントとして定番化している。
空の駅
余部鉄橋旧軌道跡は空の駅として一般開放され、展望台として整備されている。 ここでは、360度、絶景を眺めることができ、日本海を望むことができる。
空の駅と線路
余部鉄橋旧軌道跡には一部の線路が現存し、線路を触ったり、歩くことができる。
1959年、JR西日本山陰本線の駅として開業。 「あまるべ」は、「餘部」または「余部」と表記される場合がある。 第3回近畿の駅百選選定駅である。
国道178号沿いに位置するパーキング「道の駅」。 道の駅はJR西日本山陰本線の余部橋梁下の南側に位置する。 ここでは、お土産や雑貨の販売、レストランの他、トイレ、駐車場がある。
カニが釜めしに、カニが汁物に。 まさにカニ三昧。 かに道場では、カニ料理の他、炭火焼も楽しむことができる。
天ぷらにもカニ
天ぷらに、カニ。 カニの楽しみ方がいっぱい。
お造りでおなかいっぱい
新鮮な海鮮料理が楽しめるかに道場ではお造りも楽しむことができる。
美方郡香美町香住区と美方郡香美町村岡区とを結ぶ兵庫県道4号香住村岡線沿いにある道の駅。 1999年、オープン。 地元の特産物やお土産を販売する売店、食堂、野外広場、藤棚、展望台、あゆの鐘、芝生広場などがある。 2018年、山陰近畿自動車道の開通に伴い、付近の交通量が減少し、利用客が減少。 ホームページ上では「まじでつぶれる5日前」と宣言し、日本一ダメな道の駅として自虐を発信し、復活を目指している。 また、道の駅あゆの里矢田川河川敷では鮎の塩焼き、鮎放流、さかなつかみ取りなどが楽しめる矢田川まつりが開催されることも。
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高野山真言宗の寺院。 山号は川会山。 本尊は薬師瑠璃光如来。 700年代、行基によって八鹿山薬師寺として創建された。 戦国時代、再興されて現在の山寺号となった。 現在、巨大建築で知られる堂塔伽藍は平成時代に落成したもの。 1994年、大仏殿に安置される3大仏の一つ、釈迦如来像は木造座像としては世界最大である。 また、五重塔は、高さ約70mで日本第2位の高塔として知られている。
西洋館を活用した博物館施設。 1894年、旧美方郡役所として竣工。 地上2階建、木造の擬洋風建築。 現在、建物の保存と活用及び村岡区から出土した考古資料や近世の民具の保存・収集・展示をしている。 八幡山六号墳出土の船形土師器や文堂古墳出土の金銅装頭椎大刀などの遺物や考古資料。 江戸時代から戦前までの農具・灯火具・紡織具などの民具を展示している。
天台宗の寺院。 本尊は釈迦牟尼如来。 寺号の「東林山養安院法雲寺」は 東林山=東林院殿徹庵禅高大居士=村岡山名初代・山名豊国(禅高)法名(3代・山名矩豊の祖父) 養安院=養安院殿妙証日円大禅定尼=2代・山名豊政室(夫人)法名(3代・山名矩豊の母) 法雲寺=法雲院殿桂岳道栄日潤大居士=2代・山名豊政法名(3代・山名矩豊の父)に由来。 南北朝時代、周辺は七美の庄と呼ばれていた。 また、花園・妙心寺(臨済宗)第二世授翁宗弼の荘園であったとか。 宗弼は俗名を藤原藤房(万里小路藤房)といわれ、後醍醐天皇の側近で建武の新政の功労者。 1375年、報恩寺を建立。
歴史も深く
江戸時代、山名氏の嫡流・山名豊国は、江戸幕府より七美庄一帯を与えられ、交代寄合表御礼衆となった。 交代寄合は、参勤交代が強制・義務であった諸大名と違い、自発的に行っていた。 このため豊国と豊政は京や江戸で居住、同地の行政は国家老が行っていた。 3代当主・矩豊が封地に入部し、陣屋を兎塚から黒野に移した。 矩豊は報恩寺の名を父・矩政の法名・法雲を元に法雲寺へと改称、臨済宗から日蓮宗、天台宗に変更。
京都府京都市と山口県下関とを結ぶ国道9号沿いにある道の駅。 1993年、オープン。 すごまん(肉まん)や牛しぐれ煮、乾燥牛肉、肉味噌、よしばーちゃんシリーズの梅干し、栃の実せんべい、美方大納言のぼたもちの他、かつらの千年水シリーズでは、美方大納言のきんつばなど地元の特産物などを中心に販売する売店、但馬牛など地元の旬の食材を中心に楽しめるレストラン、香美町やその周辺の情報発信を目的とした観光案内所「香美町村岡観光協会」がある。
道の駅 村岡ファームガーデン レストラン
道の駅 村岡ファームガーデンで併設されているレストランでは、但馬牛など、地元の特産物を使用した料理を楽しむことができる。
サラダバー
定食や丼を注文した場合に限り、地元の特産物を使用したサラダバーを楽しむことができる。
たじま牛ローストビーフ丼
但馬牛をふんだんに使用したたじまぎゅさら定食、たじま牛おろし重ねかつ定食、さらに数量限定のたじま牛ローストビーフ丼などがある。
たじまぎゅさら定食
但馬牛をふんだんに使用したたじまぎゅさら定食、たじま牛おろし重ねかつ定食、さらに数量限定のたじま牛ローストビーフ丼などがある。
たじま牛おろし重ねかつ定食
但馬牛をふんだんに使用したたじまぎゅさら定食、たじま牛おろし重ねかつ定食、さらに数量限定のたじま牛ローストビーフ丼などがある。
但馬牛
神戸肉流通推進協議会による基準を満たした兵庫県産の黒毛和種の和牛。 前田周助が但馬牛の全国的価値を高め、メスの血統集団「周助蔓」を形成。 明治時代、一般的に牛肉が食されるようになり、但馬牛が神戸肉(神戸ビーフ)として注目されるようになった。 現在、但馬牛は名牛「田尻」号の子孫で、全国の黒毛和牛の繁殖メス牛のうち、99%を占める。 但馬牛は資質・肉質が良いため、松阪牛や近江牛の素牛となっている。