
日本一チーム「ホークス」の原点を大阪ミナミへ見に行こう!
大阪日本一チーム「ホークス」の原点を大阪ミナミへ見に行こう!
2014年のプロ野球日本シリーズは福岡ソフトバンクホークスが阪神タイガースに4勝1敗で勝利し、3年ぶり6度目の日本一 に輝きました。 その福岡ソフトバンクホークスは1988年秋、大阪の南海ホークスを大手スーパーのダイエーが買収し、「福岡ダイエーホークス」として福岡へ移転したのが始まり。 南海ホークスは昭和13(1938)年秋に南海電鉄を親会社に設立され、売却されるまでの50年間で日本一2回、リーグ優勝12回を誇った強豪チーム。 その栄光の記録と記憶を今に伝える「南海ホークス メモリアルギャラリー」が、大阪ミナミの「なんばパークス」最上階にあります。 なんばパークスは南海ホークスの本拠地だった大阪球場の跡地に立てられており、ギャラリーにはスタジアムの記録も遺されています。 ユニークな形状をしたなんばパークスを散歩する傍ら、南海ホークスの歴史にドップリ浸ってみてはいかがでしょうか?
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エスカレーターを乗り継ぎながら9階の「南海ホークス メモリアルギャラリー」へ。 ここには大阪時代の記録しか展示しておらず、福岡に移転後の記録は遺されておりません。 また、南海ホークスといえばこの人、野村克也の名前もどこにもありません。 そのあたりの事情に関しては巷間いろいろ言われているので、ここでは何も語りませんが。
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入り口
外壁はガラス張りで日差しが内側に差し込み、チームカラーの緑とミクスチャーされて心休まる雰囲気を醸し出してます。 中へ入ると左側に優勝ペナントやトロフィーが陳列されてます。
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整然と陳列されたペナントやトロフィー
このペナントは昭和34(1959)年の日本シリーズを制して日本一に輝いた時のもの。 この年、エースの杉浦忠はリーグ戦で38勝4敗という驚異的な成績を挙げ、チームも優勝。 日本シリーズでも4連投4連勝という快挙とともに巨人を4タテに斬って捨て、日本一に輝きました。 今に至るまで4連投4連勝を達成した投手は他におらず、まさに空前絶後の大記録なんです。
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壁一面が南海ホークスの歴史です
左に投手、中央下部に打者、右に野手という構成で配列されています。 投手のところには杉浦以外にも皆川睦雄や宅和本司、スタンカといった伝説の選手たち。 日本人初の大リーガー村上雅則や、一迅の風のように東映フライヤーズからやって来て阪神へ去って行った江本孟紀の名もあります。 一方、江本とのトレードで南海に来た江夏豊の姿は見当たりません。 在籍期間1年なので不自然ではありませんが、少々寂しくはあります。
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上は往年の選手名鑑、下は南海ホークスの歴史年表
打者のパートには鶴岡“親分”一人をはじめ、飯田徳治、岡本伊三美、広瀬叔功、杉山光平ら往年のスラッガーたち。 新しいところだと藤原満、門田博光、香川伸行、カズ山本らの名も。 “世界のイチロー”を生んだ名コーチ、新井宏昌も名を連ねてます。
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中央上部に設置された映像モニターでは過去の名選手や名場面が上映されています
画面に映っている人物は戦中戦後にかけてエースの看板を背負った別所毅彦投手。 後に巨人との間で引き抜き騒動が起こり、モヤモヤのうちに巨人へ移籍いたします。
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野球だけじゃなかった…大阪スタヂアムの意外な歴史
例えば昭和49(1974)年から10年連続で西城秀樹がスタジアムコンサートやったり、マイケル・ジャクソンやマドンナもステージに立ってます。 また、プロサッカー時代の到来を見越して球場を改築し、サッカー場との併用も狙っていたそうです。 例えば昭和52(1977)年には「サッカーフェスティバルさよならペレ」を開催。 しかしJリーグの誕生は平成5(1993)年…時代が少し早すぎたのかも!?
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ガラスウォールの前に並べられた3台の展示ボックス
左側のボックスには南海ホークスの代名詞的存在、鶴岡一人監督の愛用したスタジアムジャンパー。 通算23年間に及ぶ監督生活で挙げた勝利数1773は日本プロ野球史上最多。 プロ野球がセ・パ両リーグに分裂した昭和22(1947)年以降ではリーグ優勝9回、うち日本一2回を数えています。 中央のボックスには鶴岡監督の1500勝メモリアルと昭和39(1964)年の日本シリーズを制覇した、それぞれの記念品です。
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昭和39(1964)年の日本シリーズ、相手は阪神…史上唯一の“関西ダービー”シリーズでした
日本シリーズは過去64回行われてます。 でも関西に本拠地を置くチーム同士が対戦したのは昭和39年のみ。 しかもこの“関西ダービー”、実は史上最も不幸なシリーズとして記憶されています。 なぜなら、この年は同時期に一大国家プロジェクト「東京五輪」が開催されていたため。 最終戦が行われたのは10月10日、つまり東京五輪の開会式が行われた日の夜。 そのせいか日本一決定戦としての観客動員数は史上最低でした。
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右側のボックスには南海最後の、そして福岡ダイエー最初の監督、杉浦忠のユニフォーム
杉浦は昭和45(1970)年に現役を引退。 実働13年間で577試合に登板し、187勝106敗。 あと13勝で200勝…記録より記憶に残る投手と呼ぶに相応しいですね。 杉浦が南海の監督に就任したのは昭和60(1985)年。 当時は下位に低迷し続け、毎年のように身売り話が持ち上がっていました。 時代は下って2001年11月11日、杉浦は滞在先の札幌で急逝します。享年66、若すぎる死でした。
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そしてホークスは大阪の地を去った……
昭和63(1988)年、ホークス誕生50周年というメモリアルイヤーに南海グループのドン川勝傅オーナーが逝去。 ホークスがチーム最大の後ろ盾を失ったその年のオフ。 まるで事前からシナリオが用意されていたかの如くアッサリと売却されました。 買収したスーパーのダイエーはホークスの本拠地を大阪から福岡に移転。 半世紀に亘って大阪市内に本拠地を構え続けた唯一のプロ野球チームが、ここに姿を消しました。
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過去にプロ野球を題材にした漫画劇画は星の数ほどありましたが、南海ホークスがテーマの作品は「あぶさん」だけ!
ギャラリーを出ると、あぶさんの手形が展示してありました。 水島新司の「あぶさん」は1973年から2014年まで「ビッグコミックオリジナル」に連載された最長不倒の野球漫画 主人公の景浦安武は南海がパ・リーグで最後に優勝した1973年に入団。 2009年オフに現役を引退するまでホークス一筋37年。 背番号「90」は現実の福岡ソフトバンクホークスでも永久欠番扱いで、誰も付けていません。
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ギャラリーを後にして屋外の階段を降り8階へ行くと、そこには大阪球場のスタンドを彷彿とさせる円形の劇場が!
すり鉢の底に当たるステージ部分にはホームベース型のモニュメントが埋め込まれています。 大阪球場のスタンドは傾斜が急なことで有名でした。 もともと狭い敷地に建てた上、スタンドの下にテナントを誘致するために傾斜を上げていたので、その角度は…なんと37度! おかげでフィールド全体を眼下に収めることができ観戦しやすかったそうです。 反面、階段も恐ろしく急角度で、酔っぱらいが転げ落ちる事件がよくあったとか。
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キャニオンストリートに“刻印”された大阪球場の記憶
屋外の階段をブラブラしながら降り、2階のキャニオンストリートへ。 ここには大阪球場でホームベースとマウンドプレートが存在した場所と全く同じ位置に、ホームベースとマウンドプレートのモニュメントが埋め込まれています。 阪急西宮ガーデンズと同様、ここにも南海のホークスと大阪球場に対する愛が垣間見えるようです。
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ミナミの象徴、高島屋本店正面から右手へ回り込み、南側に向かうと姿を現す「なんばパークス」。 ここには昔、南海ホークスの本拠地「大阪スタヂアム」が建っておりました。 阪急西宮球場と同様、パ・リーグ暗黒時代だった1970年代以降の観客数は絶望的な少なさ。 しかもスタンド内にJRAの場外馬券売り場が併設されていたので、やはりスタヂアム周辺は一種「男の世界」的な荒んだ雰囲気が横溢していたそうです。 ホークスの福岡移転と関空開港に合わせた難波再開発に伴い、大阪球場は1990年に閉鎖。 ところが折からのバブル崩壊で再開発計画は“塩漬け”となり、解体されたのは閉鎖から10年近くたった1998年のことでした。
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都会のド真ん中に出現した緑あふれる渓谷…それがデザインのコンセプト
なんばパークスは平成15(2003)年に第1期、同19(2007)年に第2期がオープン。 設計は六本木ヒルズやキャナルシティ博多を手がけた米国人建築家ジョン・ジャーディ。 岩肌が露出した渓谷に緑が植生するようなデザインが印象的です。 3階から上には庭園「パークスガーデン」が整備されています。 最上階から谷底に当たる2階「キャニオンストリート」までブラブラ散歩してみるのも楽しいですよ。
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なんばパークスと道を挟んだ向かい側に見かけた「551」の数字。 関西では常識でも関東では全く知られてない事柄って結構あります。 テレビCM「551の蓬莱が、ある時〜!! ない時〜…」でおなじみの中華料理店「551蓬莱」も、そのひとつ。 大阪をはじめ関西一円にレストランやテイクアウトショップを構えており、気軽に利用できます。 が! 東京をはじめ関東一円にはレストランはおろかテイクアウトショップひとつありません。 関西を訪れた折には是非、名物「豚まん」を賞味されてみては?
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関西では知らない人のいない(?)名物「豚まん」
ここの「豚まん」は関西人なら知らない人のいない大阪名物。 ですが関東では殆ど入手できないので、ほぼ誰も知らない状態。 その存在を知っている関東人が、関西へ出張へ行く人に御土産で買ってきてもらうようお願いする…というパターンもあるとかないとか。 しかし、なぜ「肉まん」ではなく「豚まん」なのか? 牛肉文化の大阪では単に「肉」と言うと「牛肉」を指すそう。 だからあえて「豚まん」と強調しているのだとか。
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蓬莱551の「豚まん」を関東の名物で例えたら…崎陽軒の「シウマイ」がそれに当たるかも!?
蓬莱551の「豚まん」を関東の名物で例えたら…横浜崎陽軒の「シウマイ」が相当するかも知れません。 関東では「おいしいシウマイ崎陽軒」というCMソングでおなじみだし、多くの駅の売店で気軽に購入できるし、「シューマイ」ではなく敢えて「シウマイ」と呼ぶこだわりも。 でも関西ではデパ地下に並んでる程度の存在に過ぎません。 ちなみに商品名「シウマイ」は初代社長の訛りに「美味(うま)い」をかけたものだとか。
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