和歌山ラーメンを食す旅<南海和歌山>
和歌山和歌山ラーメンを食す旅<南海和歌山>
まいどまいど! 大阪市内中心部から走る南海電車の本線。 数時間電車に揺られて辿りついたのは、本州最南端に位置する和歌山県。 今回は和歌山県の中心地として知られる和歌山市内を散策していきまひょ。 和歌山市内にあるターミナルの一つ南海電車・和歌山市駅。 駅前には商業施設や商店街があり、昔ながらの雰囲気漂う街並みを楽しむことができまんねん。 和歌山っちゅうたら、梅干しやみかんが有名でんねんけど、ぜひとも味わってみたい・おすすめしたいのが、和歌山名物の和歌山ラーメンでんねん。 市内各地には名物の和歌山ラーメンを販売する名店が点在し、時間帯によっては行列のできるところも。 まあ、せやけど、和歌山ラーメンだけやなく、紀州徳川藩の和歌山城址もあり、酒造の世界一統や勝海舟ゆかりの和歌山の面白さ・楽しさは、無限大でおまっせ。
南海電気鉄道と西日本旅客鉄道の停車駅の一つ。 南海電気鉄道では南海本線と和歌山港線、西日本旅客鉄道では、紀勢本線が乗り入れている。 また、7月7日の七夕にちなんで、加太線で「めでたいでんしゃ さち」「めでたいでんしゃ かい」が運行されている。 青色は彦星、赤色は織姫。 2019年には彦星と織姫の間に子供が誕生するとか。
めでたいでんしゃ
和歌山市駅に停車中。
めでたいでんしゃ
内装もかなり凝っていた。
めでたいでんしゃ
和歌山市駅に停車中。
2018年、「たくさんの人に健康意識を高めてほしい」という思いで開業したとか。 食材は、無添加・無農薬、化学調味料や白砂糖を一切使用しない。
無添加・無農薬
メニューは、レギュラーカレー、動物性食材を使わない「ヴィーガンカレー」、「野菜を食べるカレー」など。 ドリンクメニューはコールドプレスジュース、穀物コーヒー、緑茶ラテ、ほうじ茶ラテ、ハーブティーなど。 デザートメニューは卵・乳不使用のアイスクリームなど。
塩こうじチキンカツとオーガニック野菜のカレー
チキンカツとたっぷりの野菜が添えられたカレーメニュー「塩こうじチキンカツとオーガニック野菜のカレー」。
雑賀鉢発祥の地。
焼鳥専門の居酒屋。 店内にはカウンター席とテーブル席がある。 メニューは、朝引き桃山けんか地鶏の「鶏のお造り」、鶏と豚のあいびきミンチの「手羽先ギョウザ」など。
たまごの出し巻き
養鶏場たまごの出し巻き 串焼き以外の楽しみ方も様々。
播州赤鶏
播州赤鶏を使用した串焼き こころ、ねぎまなど。
播州赤鶏
播州赤鶏を使用した串焼き こころ、ねぎまなど。
播州赤鶏
播州赤鶏を使用した串焼き こころ、ねぎまなど。
播州赤鶏
播州赤鶏を使用した串焼き こころ、ねぎまなど。
1863年、軍艦奉行であった勝海舟は、幕府より紀州の海岸防衛の工事監督として赴任した際、和歌山を訪れた。 当時、日本は長年の鎖国から開国へと体制が変わり、外国船が来航するなか、海に面した紀州は砲台を築き防衛を強化する必要性があったため、当地に住み、その任務にあたった。 坂本竜馬も勝海舟を訪ね、当地を訪れたという。
1884年、南方弥右衛門が紀州藩から籾倉を拝領し、当地(和歌山県和歌山市)で酒造業を創業。 日本の博物学者、生物学者、民俗学者の南方熊楠の弟・南方常楠が事業を受け継ぐ。 常楠は早稲田大学の出身で、明治時代の元勲大隈重信侯爵に師事した関係から、大隈が紀州高野山に参詣した際に酒名の選定を依頼。 大隈重信は「世界を統一する酒界の一統たれ」といった意味から酒名を「世界一統」と命名。 本社事務所ビルは、紀州藩校・学習館跡に建てられた。 社名は主力銘柄「世界一統」に因む。 また、「イチ」は、鑑評会出品酒で、山田錦を使用した大吟醸酒として知られ、日本酒の1位を目指すという意味で命名。 以後、金賞を受賞。
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江戸時代、紀伊国紀州藩によって設置された藩校、学習館。 徳川頼宣が登用した那波活所により、紀州藩の家臣に対する儒学教育を開始。 1713年、徳川吉宗は儒学振興のため、湊に講堂を開設。 仁斎学者・蔭山東門や朱子学者・祇園南海が講師を務めた。 1776年、徳川治貞は藩政改革の際、思想的統制を目的に仁斎学者・伊藤蘭嵎や朱子学者・祇園餐霞などの講釈日割を定めたが、天明の大飢饉により、廃止。 1791年、徳川治寶は湊の講堂を学習館として開校。 1792年、国学者・本居宣長が登用され、以後も宣長の子孫によって講釈が行われた。 1793年、学習館規則を定め、藩学は朱子学を含んだ広い定義の宋学とした。
江戸時代末期まで
徂徠学者・菊池衝岳や折衷学者・山本東籬、折衷学者・仁井田南陽らが重用された。 同年、江戸に明教館が開設。 1803年、試験規則を改定、学問御試規則を制定。 1804年、伊勢国松坂に松坂学問所を開設。 1856年、海防強化のために和歌山城の南隣に岡山文武場が開設。 1866年、徳川茂承は軍制改革と藩校改革を行い、学習館を岡山文武場に移転させ、学習館文武場とした。
カレーが美味しいと地元でも評判やそうですが、周辺の道を歩いていると、ガツめしという文字が躍る。 早速、お店の中に入ると、メニューには、バラホルやバラシオという文字が。
バラホル
バラホルってなんですか? 豚バラ肉をホルモンのタレで炒めたもので、一番人気のメニューであるとか。 豚バラ肉を塩コショウで味付けしたバラしおも人気やそうでが、まずは、バラホルを注文。 ライスも一緒に。
1867年、和歌山県生まれ。 日本の博物学者、生物学者、民俗学者として活躍した。 東京の学校に進学し、渡米。 イギリスの大英博物館で研究を進めた。 1893年、イギリスに滞在時、科学雑誌「ネイチャー」誌上での星座に関する質問に答えた「東洋の星座」を発表。 大英博物館の閲覧室において「ロンドン抜書」と呼ばれる9言語の書籍の筆写からなるノートを作成、人類学・考古学・宗教学・セクソロジーなどを独学。 生物学者としては粘菌の研究で知られている他、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究、高等植物や昆虫、小動物の採集も行っていた。 帰国後、和歌山県田辺市に居住し、同じく民俗学者の柳田國男らと交流した。
寄合町には湊本町とを結ぶ寄合橋が架けられている。 寄合橋とは、紀の川支流の市堀川に架けられた橋梁。 付近の京橋などは公費で架けられたが、寄合橋は町方支配の橋で、架設費や維持費は町方が負担した。 周辺には火の見櫓や橋の管理や通行人の監視を行った番所、高札場が設置。 第5代藩主松平吉宗(第8代将軍徳川吉宗)によって、学校(紀州藩藩校学習館)が設置され、学生はこの橋を利用した。 1873年、学習館の移転後、雄尋常小学校(現在、和歌山市立雄湊小学校)となった。 博物学者の南方熊楠、実業家の松下幸之助らを輩出。
1981年、国際児童年を記念して開館。 1階では、和歌山の地形や地質と岩石、恐竜の進化、化石などを展示している。 その他、空気とケットやヘリコプター、落下実験などの力と運動、宇宙と太陽の動きなどの天体、超音波や共振などの音、光の三原色、色の三原色などの光、発電の仕組み、電磁誘導、静電気などの電気と磁力、 最上階にはプラネタリウムがあり、四季に対応したプログラムを上映している。
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日本には札幌ラーメン、富山ブラック、博多ラーメンなどに代表されるように全国各地には、いろんなラーメンがあり、それぞれの場所でそれぞれの味を楽しむことができる。 和歌山県といえばやっぱり和歌山ラーメン。 和歌山ラーメンの本格的な味を楽しみたいと一軒のお店を訪れてみることにした。 諸説ありますが、和歌山県は醤油発祥の地としてしられ、丸新本家の湯浅醤油を使用した本格的な醤油ラーメンの味を楽しむことができる。
ラーメン
店内は比較的に落ち着いた雰囲気でテーブル席があり、ラーメンの他、天使の羽根ギョーザ、モヤシ炒め、湯浅おかかご飯、チャーシュー丼などがある。
天使の羽根ギョーザ
店内は比較的に落ち着いた雰囲気でテーブル席があり、ラーメンの他、天使の羽根ギョーザ、モヤシ炒め、湯浅おかかご飯、チャーシュー丼などがある。
鶏しょう油ラーメン、豚骨しょう油つけ麺など麺類の他、サラダや出汁巻き玉子、炊き込み五目御飯、アイスなどがメニューに並ぶ。 店内はカウンター席とテーブル席があり、他のラーメン店にはない隠れ家的な雰囲気が漂う。
和歌山県産のナス浅漬け
まずは、アルコールと、和歌山県産のナス浅漬けをいただく。 ナスの美味しさとアルコールとの相性は抜群。
真鯛の塩ラーメン
紀州麺処で人気という真鯛の塩ラーメンを味わった。 真鯛の香りと麺が絡み合い、絶妙。
和歌山市内を流れる市堀川沿いにある碑。 1586年、浅野幸長は和歌山城の外堀の一つ「堀川」として整備。 堀川の伝法橋付近は伝法川と呼ばれ、現在の市堀川の前身にあたる。 川は船運による物資の輸送路として使用され、河岸には問屋街が形成された。 江戸時代、市堀川を境にして、南岸の武家屋敷(三の丸)と北岸の町人町に分けられていた。 周辺には紀州藩の安藤家上屋敷(田辺領主)、水野家上屋敷(新宮領主)の両付家老と家老の三浦家上屋敷、渡辺主水屋敷、木下四郎次郎屋敷など重臣の屋敷と評定所(現・和歌山市役所北駐車場)などの役所が建ち並んでいた。 現在、公的機関、学校、商業施設などが立ち並ぶ。
和歌山市内を流れる市堀川沿いにある碑。 1586年、浅野幸長は和歌山城の外堀の一つ「堀川」として整備。 堀川の伝法橋付近は伝法川と呼ばれ、現在の市堀川の前身にあたる。 川は船運による物資の輸送路として使用され、河岸には問屋街が形成された。 市堀川沿い一帯を納屋河岸と呼び、紀の川を通じて米や魚、野菜などの各種産物が荷揚げされ、周辺には富裕な商家が集まっていた。
ビールやサワー、焼酎、ハイボール、ワイン、ウイスキー、カクテルなどの酒類が充実した居酒屋。 メニューは自家製チゲ鍋、水炊きの他、枝豆、井無知、タマサラ、冷奴、チキン南蛮、モモカツ串、餃子、とん平焼きなど。 店内はカウンター席とテーブル席がある。
よだれ鶏
当店人気ナンバーワンであるという「よだれ鶏」。 少し辛く感じるが、鶏の程よい食感が楽しめる。
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和歌山県和歌山市の商店街ぶらくり丁にある大規模複合商業施設。 1891年、丸正百貨店が開業。 2001年、丸正百貨店が廃業。 2006年、和島興産が運営し、国公私立大学や公的団体の施設が入居する複合施設として開設。 地下1階には天然温泉施設ふくろうの湯が開設。 2009年、島精機製作所はニットの編み機と北原照久プロデュースの動く人形「モーションディスプレイ」など懐かしのおもちゃの展示を融合した世界初の博物館「フュージョンミュージアム ニット&トーイ」を開設。 2011年、和歌山県ゆかりのスポーツ選手などの記録や資料の展示などを行う「わかやまスポーツ伝承館」が開設。
ぶらくり丁商店街には本町、ぶらくり丁、中ぶらくり丁、東ぶらくり丁、ぶらくり丁大通り、北ぶらくり丁の総称。 和歌山城丸の内と城下を結ぶ大手通沿いに商店街が形成。 1830年、商店街周辺の火災により焼失。 町大年寄和田九内正主が商売をはじめ、食料品や衣料品等を扱う商人が集まって商店街が発展。 「ぶらくり丁」の由来は当時、間口が狭く商店では商品をぶらくって(吊り下げての意)軒先を飾ったことから。 また一説によると「ぶらぶら歩く」が由来。 中ぶらくり丁商店街は毎年1月7日に「七草粥」に関連するイベントを開催。
和歌山ブルース
1889年、和歌山は市制施行され、全国39市中13番目の多さを誇った。 1891年、松尾呉服店が開業、1932年に丸正百貨店が開業して関西でも上位を争うほどの繁華街・歓楽街となった。 全盛期にはシネマプラザ築映や和歌山東映シネマ、和歌山帝国座などの映画館が集まり、1971年には大丸和歌山店も開業。 群馬県太田市出身の演歌歌手の古都清乃さんの唄「和歌山ブルース」にも取り上げられ、記念碑も設置。
中華そば、チャーシューメン、ネギチャーシューメン、鯖寿司などの専門店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 和歌山市やその周辺では豚骨醤油ベースの和歌山ラーメンが名物として知られ、特に和歌山城址界隈では多くの店舗が出店する激戦区。
中華そば
熱々のスープに麺やチャーシューなどが一つになった中華そばを味わうことにした。
店内にテーブル席やカウンター席、座敷もあるラーメン専門店。
幸太郎らーめん
メニューは、豚骨塩ベースの塩ラーメン、醤油ベースの醤油ラーメンなどがあるが、豚骨醤油スープが特徴の「幸太郎らーめん」は和歌山ラーメンを代表する逸品。
想像を絶する鯖寿司
地元和歌山の活け鯖を使った鯖寿司「想像を絶する鯖寿司」もおすすめ。
和歌山市内を流れる市堀川に架かる京橋の手まり広場にある碑。 市堀川は和歌山城の外堀であり、京橋御門が存在するなど城内と城外の境界であった。 現在、1992年に設置されたからくり時計があり、童謡「鞠と殿様」のメロディが流れる。 1873年、正式に里程元標と定め、木製の標柱が立てられた。 1930年、花崗岩の標柱「和歌山市道路元標」に建てかえられた。
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和歌山県内の地酒や地魚、地場産品などが味わえる遊食市場。 店内にはカウンター席とテーブル席、座敷がある。
海鮮丼
主に旬の魚がメインとなった刺身や丼は絶品で、和歌山生まれの地酒を味わいつつ、海鮮丼で〆るのもおすすめ。
茶道流派の一つである表千家は、千利休を祖とする千家の家督を継いだ千家流茶道の本家で、宗家は京都府京都市上京区にある。 代々、家元は紀州藩主である紀州徳川家(御三家)の茶頭として格式を誇り、三井家とも縁があった。 本家の表千家に対して分家の裏千家の名は、今日庵が表通りの不審菴の裏にあることに由来。 6代覚々斎の時、徳川吉宗からは茶碗(桑原茶碗)を拝領。 9代了々斎の時、「数寄の殿様」と呼ばれ、風雅を愛した徳川治宝の庇護を受けた。 治宝は利休茶道の皆伝を受けて茶道に通じ、家元とし茶事を催した。 現在、表千家表門は治宝の不審庵への御成りにあたり紀州徳川家が建立。
日本には札幌ラーメン、富山ブラック、博多ラーメンなどに代表されるように全国各地、いろんなラーメンがあり、それぞれの場所でそれぞれの味を楽しむことができる。 和歌山県といえばやっぱり和歌山ラーメン。 和歌山ラーメンの本格的な味を楽しみたいと一軒のお店を訪れてみることにした。
まるイのラーメンとチャーシュー丼
ネギがぎっしりと敷き詰められたラーメンが印象的なまるイのラーメン。 ネギは、緑宝黒ネギを使用し、スープは豚骨、高級料亭にも使用されているという鹿児島県産の三味豚が添えられている。 チャーシュー丼もラーメンによく合い、ご飯も進む。
まるイのラーメン
びっしりと敷き詰められた葱の奥には麺とスープが。
標高約48.9mの虎伏山に建造された梯郭式平山城。 1585年、豊臣秀吉の弟・秀長は紀州征伐の副将として参陣。 豊臣秀吉は当地に築城を命じ、普請奉行に藤堂高虎、補佐役に羽田正親、横浜良慶を任じ、完成。 重晴隠居に伴い孫の一晴が城代を継いだ。 関ヶ原の戦い後、東軍に属した桑山一晴は紀伊和歌山に与えられたが、大和新庄藩に転封となった。 同じく東軍に属した浅野幸長が軍功により与えられ、紀州藩主となり入城。 浅野氏は改易となった福島正則の後、広島藩に加増転封となった。 徳川家康の十男・頼宣が入城し、南海の鎮となる御三家の紀州徳川家が成立。 頼宣は兄の2代将軍徳川秀忠より銀5千貫を受領。
徳川吉宗
徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男。 越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主。 江戸幕府の第8代将軍に就任。 正徳の治を改める幕政改革を実施。 増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、目安箱などを設置した享保の改革を実行。 米相場を中心に改革を行ったことから米将軍(八十八将軍)と呼ばれた。 年貢率を引き上げるなどの改革を行ったため、百姓一揆が頻発。
夜景
日没後、和歌山城ではライトアップされ、幻想的な世界へと誘う。