せやせや!関西が好っきゃねん
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和歌山ラーメンを食す旅<南海和歌山>

和歌山ラーメンを食す旅<南海和歌山>

まいどまいど! 大阪市内中心部から走る南海電車の本線。 数時間電車に揺られて辿りついたのは、本州最南端に位置する和歌山県。 今回は和歌山県の中心地として知られる和歌山市内を散策していきまひょ。 和歌山市内にあるターミナルの一つ南海電車・和歌山市駅。 駅前には商業施設や商店街があり、昔ながらの雰囲気漂う街並みを楽しむことができまんねん。 和歌山っちゅうたら、梅干しやみかんが有名でんねんけど、ぜひとも味わってみたい・おすすめしたいのが、和歌山名物の和歌山ラーメンでんねん。 市内各地には名物の和歌山ラーメンを販売する名店が点在し、時間帯によっては行列のできるところも。 まあ、せやけど、和歌山ラーメンだけやなく、紀州徳川藩の和歌山城址もあり、酒造の世界一統や勝海舟ゆかりの和歌山の面白さ・楽しさは、無限大でおまっせ。

Seneca
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Seneca

2018年、「たくさんの人に健康意識を高めてほしい」という思いで開業したとか。 食材は、無添加・無農薬、化学調味料や白砂糖を一切使用しない。

藩校跡
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藩校跡

江戸時代、紀伊国紀州藩によって設置された藩校、学習館。 徳川頼宣が登用した那波活所により、紀州藩の家臣に対する儒学教育を開始。 1713年、徳川吉宗は儒学振興のため、湊に講堂を開設。 仁斎学者・蔭山東門や朱子学者・祇園南海が講師を務めた。 1776年、徳川治貞は藩政改革の際、思想的統制を目的に仁斎学者・伊藤蘭嵎や朱子学者・祇園餐霞などの講釈日割を定めたが、天明の大飢饉により、廃止。 1791年、徳川治寶は湊の講堂を学習館として開校。 1792年、国学者・本居宣長が登用され、以後も宣長の子孫によって講釈が行われた。 1793年、学習館規則を定め、藩学は朱子学を含んだ広い定義の宋学とした。

寄合町
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寄合町

寄合町には湊本町とを結ぶ寄合橋が架けられている。 寄合橋とは、紀の川支流の市堀川に架けられた橋梁。 付近の京橋などは公費で架けられたが、寄合橋は町方支配の橋で、架設費や維持費は町方が負担した。 周辺には火の見櫓や橋の管理や通行人の監視を行った番所、高札場が設置。 第5代藩主松平吉宗(第8代将軍徳川吉宗)によって、学校(紀州藩藩校学習館)が設置され、学生はこの橋を利用した。 1873年、学習館の移転後、雄尋常小学校(現在、和歌山市立雄湊小学校)となった。 博物学者の南方熊楠、実業家の松下幸之助らを輩出。

紀州麺処誉
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紀州麺処誉

鶏しょう油ラーメン、豚骨しょう油つけ麺など麺類の他、サラダや出汁巻き玉子、炊き込み五目御飯、アイスなどがメニューに並ぶ。 店内はカウンター席とテーブル席があり、他のラーメン店にはない隠れ家的な雰囲気が漂う。

和歌山城三の丸 北外堀
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和歌山城三の丸 北外堀

和歌山市内を流れる市堀川沿いにある碑。 1586年、浅野幸長は和歌山城の外堀の一つ「堀川」として整備。 堀川の伝法橋付近は伝法川と呼ばれ、現在の市堀川の前身にあたる。 川は船運による物資の輸送路として使用され、河岸には問屋街が形成された。 江戸時代、市堀川を境にして、南岸の武家屋敷(三の丸)と北岸の町人町に分けられていた。 周辺には紀州藩の安藤家上屋敷(田辺領主)、水野家上屋敷(新宮領主)の両付家老と家老の三浦家上屋敷、渡辺主水屋敷、木下四郎次郎屋敷など重臣の屋敷と評定所(現・和歌山市役所北駐車場)などの役所が建ち並んでいた。 現在、公的機関、学校、商業施設などが立ち並ぶ。

納屋河岸
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納屋河岸

和歌山市内を流れる市堀川沿いにある碑。 1586年、浅野幸長は和歌山城の外堀の一つ「堀川」として整備。 堀川の伝法橋付近は伝法川と呼ばれ、現在の市堀川の前身にあたる。 川は船運による物資の輸送路として使用され、河岸には問屋街が形成された。 市堀川沿い一帯を納屋河岸と呼び、紀の川を通じて米や魚、野菜などの各種産物が荷揚げされ、周辺には富裕な商家が集まっていた。

フォルテワジマ
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フォルテワジマ

和歌山県和歌山市の商店街ぶらくり丁にある大規模複合商業施設。 1891年、丸正百貨店が開業。 2001年、丸正百貨店が廃業。 2006年、和島興産が運営し、国公私立大学や公的団体の施設が入居する複合施設として開設。 地下1階には天然温泉施設ふくろうの湯が開設。 2009年、島精機製作所はニットの編み機と北原照久プロデュースの動く人形「モーションディスプレイ」など懐かしのおもちゃの展示を融合した世界初の博物館「フュージョンミュージアム ニット&トーイ」を開設。 2011年、和歌山県ゆかりのスポーツ選手などの記録や資料の展示などを行う「わかやまスポーツ伝承館」が開設。

ぶらくり丁商店街協同組合
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ぶらくり丁商店街協同組合

ぶらくり丁商店街には本町、ぶらくり丁、中ぶらくり丁、東ぶらくり丁、ぶらくり丁大通り、北ぶらくり丁の総称。 和歌山城丸の内と城下を結ぶ大手通沿いに商店街が形成。 1830年、商店街周辺の火災により焼失。 町大年寄和田九内正主が商売をはじめ、食料品や衣料品等を扱う商人が集まって商店街が発展。 「ぶらくり丁」の由来は当時、間口が狭く商店では商品をぶらくって(吊り下げての意)軒先を飾ったことから。 また一説によると「ぶらぶら歩く」が由来。 中ぶらくり丁商店街は毎年1月7日に「七草粥」に関連するイベントを開催。

京橋 幸太郎
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京橋 幸太郎

店内にテーブル席やカウンター席、座敷もあるラーメン専門店。

道路元標記念碑
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道路元標記念碑

和歌山市内を流れる市堀川に架かる京橋の手まり広場にある碑。 市堀川は和歌山城の外堀であり、京橋御門が存在するなど城内と城外の境界であった。 現在、1992年に設置されたからくり時計があり、童謡「鞠と殿様」のメロディが流れる。 1873年、正式に里程元標と定め、木製の標柱が立てられた。 1930年、花崗岩の標柱「和歌山市道路元標」に建てかえられた。

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