
那智の滝
和歌山那智の滝
まいどまいど! 那智川にある那智の滝。 総合落差では日本12位。 一段の滝としては落差日本1位。 華厳の滝(栃木県日光市)、袋田の滝(茨城県大子町)と並ぶ三大瀑布・三名瀑の一つ。 華厳の滝(栃木県日光市)、布引の滝(兵庫県神戸市)と並ぶ三大神滝の一つ。 ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。 那智山中の那智原始林には、60を数える滝がある。 本来、那智滝は瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称であった。 一の滝は飛瀧神社の神体。 滝の落口の岩盤に切れ目があり三筋に分かれて流れ落ちるため三筋の滝ともいい、那智の大滝とも。 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある坂道・大門坂。 熊野古道(熊野参詣道)・中辺路の一部、熊野那智大社への参道。 和歌山県道46号那智山勝浦線、那智勝浦町市野々の麓から那智山に至る約1kmの石段・石畳が特長。 熊野速玉大社、熊野那智大社と並ぶ熊野三山の一つ熊野那智大社もめぐる。
那智川にある滝。 総合落差では日本12位。 一段の滝としては落差日本1位。 華厳の滝(栃木県日光市)、袋田の滝(茨城県大子町)と並ぶ三大瀑布・三名瀑の一つ。 華厳の滝(栃木県日光市)、布引の滝(兵庫県神戸市)と並ぶ三大神滝の一つ。 ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。 那智山中の那智原始林には、60を数える滝がある。 本来、那智滝は瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称であった。 一の滝は飛瀧神社の神体。 滝の落口の岩盤に切れ目があり三筋に分かれて流れ落ちるため三筋の滝ともいい、那智の大滝とも。
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある坂道。 熊野古道(熊野参詣道)・中辺路の一部、熊野那智大社への参道。 和歌山県道46号那智山勝浦線、那智勝浦町市野々の麓から那智山に至る約1kmの石段・石畳が特長。 名称の由来はかつて坂の入口に大門があり、関所の「十一文関跡」で通行税を徴収していたことから。 坂道の両側には夫婦杉、九十九王子の一社・多富気王子がある。 また、南方熊楠が滞在した「大阪屋旅館跡」も。 大門坂の先には那智山青岸渡寺、熊野三山の一つ熊野那智大社、日本一の高さ約133mの那智滝も。
日本の道100選
熊野参詣道大門坂の杉並木は「日本の道100選」に選定。 毎年10月、時代衣装を着用して大門坂を歩く、いにしえの熊野詣を再現したイベント「あげいん熊野詣」も。
熊野速玉大社、熊野那智大社と並ぶ熊野三山の一つ。 祭神は熊野夫須美大神。 別名、那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社、熊野十二所権現、十三所権現、那智山権現。 ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部。 インドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀って鎮座。 那智滝を神聖視する原始信仰に始まる。 妙法山に登る禊祓の地で那智滝が聖地化、夫須美神が勧請されて創建。 那智山には禰宜や神主等の神職は存在せず、如意輪堂(青岸渡寺)と神仏習合して一体化、その全員が社僧という修験者達の霊場となった。 社僧が東座と西座に分けられ、両座には東の長官、西の長官・執行と呼ばれ、一山を管理。
東の長官、西の長官・執行
東座執行には那智最古の家柄・潮崎尊勝院。 西座執行は西仙滝院、米良実方院に替わった。 承久の乱で後鳥羽上皇らが敗れて熊野は有力な支持者を失い、三山の御師と先達による組織づくりが盛んとなった。 紀州藩主浅野幸長によって那智山は市野々村と二河村を与えられた。 1798年、高遠藩の砲術家・坂本天山は、建造物が壮麗で香炉には火が絶えず、社人・社僧の数が多かったとも。
前田商店が製造販売する観光土産。 第62回全国土産品審査会 日本観光振興協会会長賞受賞。 やたがらすとは、日本神話で神武天皇東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる伝説上の大カラス。
日本サッカー協会のシンボル
やたがらすは、日本サッカー協会のシンボル。 明治時代、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助が、熊野那智大社がある和歌山県那智勝浦町の出身であることから。
懐かしい田舎の味! 熊野古道へみちくさ餅 山崎梅栄堂が製造販売する観光土産。 1979ね、創業。 1992年、設立。