桜の名所・桜之宮公園を散策
大阪桜の名所・桜之宮公園を散策
まいどまいど! 大阪の春といえば大阪府大阪市北区にある造幣局・桜の通り抜けが有名でんな。 造幣局敷地内にはぎょうさんの桜が植樹されておまして、毎年、ぎょうさんの見物客が訪れ、押すな押すなの大盛況。 また造幣局敷地内には博物館も併設され、円のことを詳しく知ることができまんねん。 そんな造幣局周辺にも市民の寄付によって植樹された桜並木が美しく、こちらにもぎょうさんの見物客が訪れはります。 名を桜之宮公園。 まさに桜が咲く公園にぴったりの名称でんねんけど、その桜之宮公園周辺にもふれあいの水辺と呼ばれる広場があり、市民の憩いの場として親しまれてまんねん。 また、特に興味深いのが青湾という場所。 かつて大川という川の水は美しく、お茶の水にも使用されておました。 当時、大阪城主であった豊臣秀吉はここでお茶を飲み、それが今、名所となって親しまれておます。 その他、藤田邸跡は自然豊かな公園として整備され、美術を専門とする美術館もあり、見学することもできまんねん。 周辺には浪速鉄道跡や市場跡、橋跡などの名所がいっぱい! 都島区のこと、もっと詳しく知ることができまっせ。
桜が咲く季節。 花見としてオススメなのは、大川沿いにある毛馬桜之宮公園。 ここには市民の寄付によって植樹された桜が咲き誇り、大阪を代表する名所としても知られている。 大阪の人情がたっぷり詰まった公園でゆっくり過ごしてみるのはいかが? 約4800本の桜並木は、花見客であふれ、露店が立ち並び、観光船が大活躍。 川の上から桜の景色を楽しむことができるだけでなく、大阪城も眺めることができる。 その他、普段でもウォーキングやランニングなど、スポーツを楽しむ人が多い。
桜
普段では決して楽しむことのできない大阪市内での川の旅。 あなただけの特別な時間を大切な人と過ごしてみるのもいかがでしょうか。
花見を楽しむなら水陸両用バス
3月下旬から4月にかけて見ごろを迎える桜並木を楽しむなら、水陸両用バスがオススメ。 今、このバスは地上で停車しているが、この後、川に飛び込み、大川をスイスイ泳ぐ。 そして、再び、地上に上がってくる。 もちろん、付近の八軒家浜船着き場などからは観光船「アクアライナー」も運行されているが、同じ思い出を作るなら、水陸両用バスがオススメ。
2011年、水の都・大阪府を象徴するスポットとして整備された。 付近には、大阪アメニティパーク(OAP)や桜ノ宮神社が鎮座しており、都心に位置する。 淀川から分流した大川の水に直接、触れられるほか、休息を目的とした憩いの場として利用できる。
大阪市北区と都島区を流れる大川に架かる橋である。 名称は、江戸時代初期からあった渡船「源八渡」にちなんで名付けられたと言う。 1934年、設置工事が行われ、1936年に完成と同時に、源八渡は廃止された。 付近には、大阪アメニティパーク(OAP)があり、駅からも近いので、交通量が多く、ラッシュ時には、多くの人が利用する。 そして、桜之宮公園が広がり、市民の憩いの場となっている。 形式は、ゲルバー式綱板桁橋で橋長は、201.2m、幅員は11mである。
工場の多いこの町に、一軒のメガネ販売店。 店員さんと1対1による接客(予約)で、ゆっくりとメガネ選びを楽しむことができる。
かつてここには、小湾「青湾」があったとか。 豊臣秀吉は好んで、茶の湯に用いたと言う。 「青湾」の由来は、茶人・大江青湾。 後に青湾は埋められ、碑だけが当時を物語るように残っている。
都島区は、北区や中央区、城東区、旭区に隣接し、JR線や京阪線、地下鉄長堀鶴見緑地線などの公共交通機関がある。 1943年、北区と旭区から再編して発足。 古代、大阪市中央区に日本で初めてとなる本格的な首都「難波宮」が造営され、その付近であったことから「宮向島」と呼ばれるようになったとか。 江戸時代、京街道などの交通の要衝として発展し、宿場町があった。
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毛馬桜之宮公園の一角に、藤田邸跡公園がある。 かつて、藤田伝三郎が屋敷を買い取って移り住んでいた場所。 庭師を迎え、豪華な日本庭園を完成させた。 その後、大阪市に寄贈され、現在は大阪市が運営管理する。 また、藤田美術館では藤田家の至宝を一般公開。
藤田邸跡公園
緑豊かな園内の中心部には池があり、ゆったりとした時間が流れている。
1959年、第5回日米市長及び商工会議所会頭会議が開催された。 同時に、迎賓館として建設された。 敷地は13,680平方メートル。 アジア太平洋経済協力会議が大阪で開催された。 2国間首脳会談を始め、姉妹都市歓迎レセプションや大阪市民表彰式が開催された。 2007年、市長会館から大阪市公館に名称を変更した。
石山本願寺の時期に設けられた鮒市場とされる。 明治時代、市場は中之島へ移転した。 現在の大阪中央卸売市場の前身となる。
かつてこの付近には、鯰江川が流れていた。 その川に架けられていた橋で、京街道にあたることから重要視された。 江戸時代、これより下流にあった備前島橋と大阪城の北の玄関口にあり、京街道の起点でもあった京橋とともに公儀橋に指定されていた。 昭和時代初期、鯰江川が埋め立てられたと同時に橋は撤去された。
西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)の終点。 京阪電気鉄道京阪本線の天満橋駅と京橋駅間に存在した旧停車駅。 付近には、大阪市営電気鉄道(大阪市電)天満橋善源寺町線片町停留場もあった。 1895年、浪速鉄道の片町駅として開業、四条畷駅とを結んでいた。 当時、大阪市街の北東端に位置した相生町に近接する駅で「片町」という名称はかつて、相生町が京街道の北側に家屋が集中していたことから。 鯰江川と寝屋川に挟まれた場所に位置。 1897年、浪速鉄道を関西鉄道に譲渡。 1907年、鉄道国有法により国有化、日本国有鉄道となった。
京橋駅と片町駅
1987、国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)となった。 1997年、放出・四条畷・長尾・松井山手・同志社前・木津行の列車が発車したが、京橋駅の開業に伴い廃止。 現在も西日本旅客鉄道の片町線(愛称は学研都市線)という名称が使用。 1910年、京阪電車本線の野田橋駅として開業。 1955年、片町駅に改称。 1969年、廃止。
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石山本願寺の時期に設けられた鮒市場とされる。 明治時代、市場は中之島へ移転した。 現在の大阪中央卸売市場の前身となる。
大阪市内を流れる寝屋川に架かる橋。 1973年、架橋。 大坂橋は、大阪市中央区にある大阪城公園と大阪市都島区にある毛馬桜之宮公園を結び、府道石切大阪線を跨ぐ。 また、自転車・歩行者専用橋として知られている。 大坂橋という名前の由来は、1925年、東横堀川の浚渫中に「大坂橋 天正13年」(1585年)の銘が刻された擬宝珠(ぎぼし)が発見されたことにちなむ。 ただし、当時の「大坂橋」がどこに架かっていたのかなど詳細は不明のままとなっている。