
大須探検隊がゆく! 神社仏閣編。
愛知大須探検隊がゆく! 神社仏閣編。
以前はやや閑散しとした年寄りの街という印象が強かった大須観音。一時期は本当に客足が少なくなりました。 それがあるとき、大須観音周辺の古着の街とアメ横の電気屋街により復活を遂げて以来劇的に客足が増加し、 大須とその界隈が賑やかになるに従って大須商店街を歩く若者の比率がどんどん急上昇。 今では古き店と新しい店が混沌として交じり合うカオス的にオモシロイ街になってきました。 しかし大須といえばやっぱり大須観音。そして数多く点在する神社仏閣が原点でしょう。 今回はそんな基本に立ち返り、大須とその周辺の神社仏閣を巡りたいと思います。 隠れた場所に素通りするのが勿体無いようなスポットが存在します。
<尾張三十三観音 第一番札所> <名古屋二十一大師 第一番札所> <東海三十六不動尊 第十番札所> <なごや七福神めぐり 布袋尊> やっぱり大須観音でしょ。名古屋市内でも有数の来客数を誇る観音様です。大須商店街に大須観音抜きでは語れません。その大須観音ですが、かつて岐阜県羽島にあった寺がこの地に移転したという話が定説です。細かなことは他のHPを参照願います。さてその大須観音ですが、観音様は勿論、七福神や大師様。不動様や十二支等様々な分野の神様がいらっしゃいます。毎月18日と28日には境内で「骨董市」が開催されます。お見逃しなきよう。 大きな写真はこちらをクリック→
恐るべき鳩の大群
特にお昼前あたりは境内に「はとのえさ」を求める鳩が大挙押し寄せ、ヒッチコック鳩版さながらの様子を呈しています。勇気がある方は餌の皿を手に持ってじっとしていて下さい。かなりオモシロイ事になります。
位置を変えた仁王門
昔は仁王門通の入口に仁王門がありましたが、こちらが正式な位置だったということで向きが変わってしまいました。現在でこそ少しは慣れましたが、かえって境内が狭くなっただけのような気がします。
仁王門が消えた仁王門通
もともとここに仁王門が建っていたのです。その名のもとに「仁王門通り」と名前が付けられたと思うのですが、どうなんでしょ。
鬼瓦を見逃すな
恐らく殆どの方が見てないと思われる本堂正面唐破風の鬼瓦は他で見られない独特というか、ユーモラスな表情をしています。
万松寺商店街の名前の元になった寺。織田家と縁が深い曹洞宗の寺院。毎月28日の「みょうおんさん」縁日ではつきたての「身代わり餅」が振る舞われます。毎月28日は一口サイズの餅をもらう為、行列に並ぶのがお約束。 ※現在、万松寺は改築施工中です。次にお目見えした際どのような姿になるのかすっごく心配。
身代わり不動明王
提灯がずらりと並ぶ境内が身代わり不動明王です。やはり織田家の逸話が元になってるそうです。
像の手水
手水としては珍しい像の形をしています。仏教ですからわかるのですが、ハイカラですよね。
白雪咤枳尼真天
いわゆる稲荷様です。「商売繁盛 」「開運成就」 「心願成就」の方面にご利益があるそうです。
信秀公墓碑
受処と白雪咤枳尼真天の間には千花へ降りる石段があり、その先にあるのが信秀公の墓碑。昼間でも薄暗いのに、夜になると不気味さが増して子供の頃は凄く怖かった覚えがあります。
現在工事中です
見ると従来の建物は姿形一切ありません。次に出来る時、納骨堂みたいな総コンクリだったらがっかりです。完成はもう少し先、そうならないことを願っています。
毎月28日の「みょうおんさん」の縁日は基本的にこちらのこと。赤門通りはこの夜だけ歩行者専用となり、夜店がずらりと並びます。
烏瑟沙摩明王
正式名称「興國山大光院」。参詣者の多かったお手洗いの仏様で、特に女性にご利益があると言われている。
正式名称「陽秀院」。場所は赤門明王殿の斜め前あたり。本堂よりもむしろこちらの「紙貼り地蔵」の方が賑やかになっている。
薄紙を貼るのだ
現在具合がわるい所、治したい所に備え付けの白い薄紙を貼ることによって身代わりして頂けるという有難い地蔵様があります。
夜になるとよく目立ちます
昼間だと街に埋もれる感じですが、夜になると提灯にも明かりが灯ります。特に毎月28には人がひっきりなしに訪れる隠れたスポット。
いわゆる織田家縁の寺だそうです。織田信長の次男・信雄が父の菩提を弔うために建てたのだとか。よく見ると門に胡瓜の紋章があります。ご存知のように織田家の家紋です。
手抜きの土壁
いつの間にか改築して壁が新しくなっていました。ところでその壁ですが「信長壁」を模したと思うのですがホンモノとは比較にならないほどの手抜き壁。再現する気がないなら無理して作らなくてもいいのに。
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小学校の頃に学校からか町内会からか忘れたけど、「習字関係」でお参りに行った……ような記憶があります。いったい何やったんだろう、習字を奉納したのかな。でもって、何かを貰ったような気がする。全く思い出せない。
隣の稲荷様
提灯に「まねき稲荷」とあるのできっとそちら関係のお願いをする稲荷様ではないかと。普段身近にありすぎて意味を全く気にしたことがありませんでした。
矢場町にこんな地蔵堂があるのです。場所は矢場町「矢場とん」のほぼ対面路地を入った先。路地を外側から見てもその中にこんな建物や森が存在するなんて全くわかりません。ちなみに隠れ家レストラン「ami」はこの路地の中です。
大津通に面している入口
左の写真を見ただけでは中に何があるのかわかりませんよね。この路地は向こう側まで通り抜けることが出来ます。
岩井通り上前津交差点三井住友銀行の西隣。車でよくこの横を通るのですが、信号のほうが重要なので全く目に入りません。「春日」を名乗るということは奈良の「春日大社」の関係者なのでしょうか。そういえば外観は主に赤いし、特徴的な燈籠もあるね。
昼間より夜がオススメ
夜に行ってみたのは全くの偶然でしたが、控えめな照明のお陰でオモシロイ写真が撮れました。夜のほうが雰囲気がいいです。
大須観音の北側にある、この辺りではよく見かけるタイプの稲荷様。この辺りの稲荷様同様、夜になると灯りが灯される。北野というから天満宮を連想するけど違うようです。
大須と隣接するすぐ北側。昔で言うところの中日シネラマ東側、大須とロフトの間あたりにある神社。意外に知られていないのだが、名古屋の総鎮守という格がある神社。現在では結婚式場としての方が知られているが、名古屋の三大神社といえばまず熱田神宮で、次に護国神社、若宮八幡社ということになるらしい。
境内は意外に緑が多い
隣りに結婚式場がありそちらばかり目立つが、境内に入ると意外なほど緑が多く静か。心なしか空気が張り詰めたような気配がある。
参拝する人が多い
見ると服装からして地元の方らしい人たちが一人また一人と、見てるだけでひっきりなしに参拝していく。
摂社、末社が多い
よくありがちな稲荷神社を筆頭に様々な摂社・末社が拝殿東側にずらりと並び、それぞれに単独の鳥居を持っている。
様々な方面の御札も
当然ながら社毎に専用の御札が存在する。様々なご利益方面の御札を受けることが出来る。
針塚がある
使い古した針に感謝し、針を供養するという針塚が存在する。毎年2月8日に針供養祭が行われる。
葡萄酒樽の奉納
神社に日本酒の酒樽奉納はよく見かけるが、葡萄酒樽の奉納を初めて見た。
福禄寿車の出番です
毎年5月15~16日に行われる若宮まつりにおいて、この山車が那古野神社へ往復するらしい。
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