
嵐山で嵯峨野豆腐を味わいながら練り歩く京都風情
京都嵐山で嵯峨野豆腐を味わいながら練り歩く京都風情
まいどまいど! 京都市内をぶらぶら歩きながら、たどり着いた場所は、仁和寺。 立派な門構えが参拝客・観光客らをお出迎えし、広い敷地内ではぎょうさんの人でにぎわおうてはりました。 周辺の全国的に有名な渡月橋や嵐山公園とその付近を散策し、嵯峨野豆腐で有名な稲はんで美味しいと評判の豆腐をいただきまっせ~! いや~、「美味しい!美味しい!」と頬張っていると、なんやここは、勝新太郎はんと中村玉緒はんご夫婦とえらい深い縁があるとか!?っちゅうて。 ほんで、お店を後にしまして、付近を練り歩く。 天龍寺や庭園は、世界遺産にも登録された由緒正しき仏閣寺院であり、一日中、ゆっくりのんびりと散策することができまんねん。 また、黒木鳥居で知られる野宮神社、桂離宮、東寺など、京都を代表する京都らしい京都を、とことん、楽しんで、味わっていきまっせ! ほんでまた右京区北部は自然豊かな環境に恵まれ、ハイキングコースや宇津峡公園キャンプ場も。 高山寺でかつての歴史を感じ、茶畑に圧巻。 道の駅ウッディー京北で京都と出会い、京都の味を堪能するドライブもおすすめ! ほな、まいどおおきに~!
東映京都撮影所を中心とした映画のテーマパーク。 1975年、時代劇に関するドラマや映画が人気を集めるようになったため、開業。
東映
時代劇に登場する舞妓、姫、殿様、武士、町人、町娘などへの変身も体験できる変身スタジオ。
東映
東映が製作する作品のロケ地として使用されることも。
東映
施設内では、中村座、大手門、ステージ、武家屋敷等がある他、時代劇の殺陣ショー、トークショー・撮影会・握手会、スーパー戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズなどのキャラクターショー、殺陣講座などの体験企画も開催。
東映
東映京都撮影所は映画スタジオの一つで、阪東妻三郎プロダクションが1925年に撮影所を建設、「合資会社一立商店阪東妻三郎プロダクション太秦撮影所」として開業。 1930年、撮影所は松竹となり、「帝国キネマ太秦撮影所」に改称。
パディオス
1997年、大型屋内エンタテインメント施設「パディオス」開業。
通称、木嶋神社、木島神社、蚕の社、蚕ノ社。 境内には稲荷山・松尾山の冬至線、比叡山四明岳・愛宕山の夏至線に関する三柱鳥居として知られ、京都三鳥居の一つ。 祭神は天之御中主神、大国魂神、穂々出見命、鵜茅葺不合命、瓊々杵尊。 604年、広隆寺創建に伴い勧請。 嵯峨野・太秦周辺は渡来系氏族の秦氏が開拓した地で、広隆寺・松尾大社・蛇塚古墳などの関係寺社・史跡があることから、秦氏ゆかりの神社とも。 蚕養神社は、秦氏が招来した養蚕・機織・染色技術に因む。 800年代、僧・道昌が勅命により木島名神の池水に祈雨のため加持を行い、祈雨の神として崇敬。 平安時代、伏見稲荷大社や石清水八幡宮と並ぶにぎわいを見せた。
糺の森
神泉「元糺の池」は湧水で、夏の土用の丑の日に手足を浸すと諸病に良いとして信仰を集めた。 木嶋社の社叢を元糺の森、神泉を元糺の池と称し、下鴨神社の森が糺の森と呼ばれる以前、木嶋社の社叢が糺の森と呼ばれていた。
真言宗御室派総本山の寺院。 山号は大内山。 本尊は阿弥陀如来。 開基は宇多天皇。 「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録。 皇室との縁が深く、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」と称された。 明治維新以降、「旧御室御所」と称するようになった。 当寺は、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元である。
御室桜
徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名。 仁和寺の桜は「御室桜」。 約200本、植樹され、八重咲き。 御室桜は日本さくら名所100選に選定。
祭神は清原頼業公。 清原頼業公は平安時代に活躍した儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫。 一族の中には三十六歌仙の清原元輔、清少納言ら。 大外記の職を務め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比とも。 九条兼実から政治の諮問にあずかり「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられた。 1189年、清原家の領地であった現在地に葬られ、廟が設けられた。 頼業公の法名「宝寿院殿」に因み、宝寿院が営まれ、足利尊氏によって天龍寺が創建、末寺となった。 頼業公は桜を愛し、廟には桜が植えられ、桜の宮と呼ばれたが、後嵯峨天皇が社前を通りがかった時に牛車の轅が折れ、御神号「車折大明神」を賜り、車折神社と称する。
多くの有名人や芸能人
境内には藝能神社があり、祭神は天宇受売命。 芸能・芸術の分野で活動する人々より崇敬を受け、企業だけでなく多くの有名人や芸能人の名を連ねている。 例祭は「三船祭」が行われ、嵐山の大堰川にて平安時代の船遊びを再現。 また、東映や松竹の撮影所が付近に点在していることから、ドラマや映画のロケーションで使用されたことも。
公園内の高台に位置する天皇の火葬塚にちなんで、亀山地区では通称、亀山公園と呼ばれている。 嵐山地区は年間を通じて観光地として人気があり、特に桜と紅葉の季節は賑わう。 トロッコ嵐山駅が近い。 また、園内には、中華人民共和国の国務院総理を務めた周恩来によって石碑「雨中嵐山」が建立。
渡月橋は、京都市内を流れる桂川の左岸と、中州の中ノ島公園の間に架かる橋。 橋長155m、幅11m。 840年頃、僧、道昌が架橋したのが始まりで、後年、角倉了以が架け替えた。 亀山上皇は、橋の上空を移動していく月を眺め、「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことに因み、渡月橋と命名。
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臨済宗天龍寺派大本山の寺院で、山号は霊亀山。 寺号は天龍資聖禅寺と称する。 本尊は釈迦如来。 開基は足利尊氏、開山は夢窓疎石。 「古都京都の文化財」として世界遺産に登録され、足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきた。 平安時代、当地には嵯峨天皇の皇后橘嘉智子による檀林寺があった。 その後、後嵯峨天皇と亀山天皇は離宮「亀山殿」を造営。 亀山は、紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることに因み、命名。 足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔う為、大覚寺統(亀山天皇)の離宮「亀山殿」を天龍寺に改めた。 夢窓疎石作の庭園は、史跡で特別名勝。
嵯峨とうふ、嵐山さくら餅、黒本蕨餅の専門店。 当初、建物は一般住宅として建設され、芸能界で活躍する勝新太郎さんと中村玉緒さんが入居していた。 新婚生活をこの地で過ごし、芸能界と子育て等で奮闘する中、建物を売却。 その後、旅館となったが、建物は建設当時のままに嵯峨野とうふが楽しめるレストランとなっている。
湯葉あんかけ丼
温かいあんかけとご飯を中心に白味噌が主体となった汁物をいただきながら、弘法大師、空海の精進料理として知られる胡麻豆腐が添えられた贅沢な定食。
湯葉ドーナツ
嵯峨とうふ稲さんの店先で販売されている湯葉ドーナツやソフトクリーム。 今回は湯葉ドーナツを片手に付近を食べ歩きしながら、味見する。
祭神は、野宮大神(学問・恋愛成就・子宝安産等の祭神)。 野宮大黒天、龍神、白福稲荷大明神、大山弁財天。 豊鍬入姫命を端とした伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来。 天皇が代替わりすると、未婚の皇女・女王の中より新たな斎王が選出され、宮中の初斎院で一年間、そして嵯峨野の造営された野宮に入り約一年間潔斎した後、斎宮寮に向かい伊勢神宮での神事に臨んだ。 1998年以降、毎年10月の例祭において氏子を中心に「斎宮行列」としてその様子を再現している。 源氏物語「賢木」の巻の舞台、謡曲「野宮」の題材ともなっている。
黒木鳥居
鳥居は樹脂加工されているが、樹皮がついたままのクヌギの原木(徳島県剣山産)を使用し作られた。 日本最古の鳥居形式を伝えている。
祭神は藤原采女亮政之。 日本で唯一の髪の神社として知られ、信仰を集めている。 古くから頭髪は女性の命とされ、百人一首にも詠まれた。 1200年代、藤原鎌足の末孫にあたり皇居の宝物守護で武士の北小路左衛尉藤原基春卿は、山口県の下関に居を構え、紛失した宝刀「九王丸」を探していた。 基春卿の三男、藤原采女亮政之は生活の糧を得るため、その地に於いて庄屋の婦女の髪を結って父を助けたことが、日本で初めてとなる「髪結い職」となった。 基春卿没後、政之公は鎌倉に移住。 立派な処世と功績により従五位を天皇より賜った。
髪・・・様!?
昭和時代、全国の理・美容業者は敬髪と始祖のご冥福祈願のため、政之公の命日である17日を毎月の定休日とした。 「髪」は「神」に通ずるものとして、縁の深い亀山天皇御陵地の小倉山山麓に建立。 境内には、献納された「髪」を納祭した髪塚がある。
別名、千二百羅漢の寺。 宗派は天台宗。 山号は等覚山。 本尊は厄除千手観音。 愛宕山参道の山麓の入り口に位置するため、嵯峨野めぐりの始発点として知られる。 700年代、称徳天皇により京都市東山区に愛宕寺を創建。 付近を流れていた鴨川の氾濫により堂宇を流失。 醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(伝燈大法師)が復興。 千観が念仏を唱えていたところから愛宕念仏寺と改称、天台宗に属した。 1922年、遷座。 1981年、参拝者ら自ら彫って奉納する「昭和の羅漢彫り」が始まり、1200体以上を数える。
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「古都京都の文化財」として世界遺産に登録。 山号は栂尾山。 宗派は真言宗系単立寺院。 奈良時代、創建。 度賀尾寺、都賀尾坊などと称する寺院があり、774年に光仁天皇の勅願で建立されたとも。 鎌倉時代、明恵房高弁によって開基(創立者)。 かつて当地には神護寺の子院「神護寺十無尽院」があるも荒廃。 その後、神護寺の文覚の弟子・明恵が入って寺とした。 ここでは鳥獣人物戯画をはじめとする絵画、典籍、文書など、多くの文化財も。 明恵房高弁は1173年、紀伊国有田郡(和歌山県有田川町)生まれ。
明恵房高弁
父は武士の平重国、母は紀州の豪族湯浅家の娘。 明恵は法然の唱える「専修念仏」の思想を批判、華厳宗の復興に努めた。 寺名の由来は「日出先照高山之寺」から。 「日出先照高山」(日、出でて、まず高き山を照らす)は「華厳経」の句で「朝日が昇って、真っ先に照らされるのは高い山の頂上」という意味で、そのように光り輝く寺院であれとの意。 1966年、真言宗御室派から離脱し、真言宗系単立寺院となった。
高山寺
1230年に作成された高山寺境内の絵図が現存。 境内には石水院は鎌倉時代の建築で明恵の住房跡、仁和寺から移築した金堂、明恵の肖像彫刻を安置する開山堂など。 また、鎌倉時代に臨済宗の開祖栄西から茶の種を貰い植えたという「日本最古の茶園」もあり、後に宇治の地にも広めたとか。 栂尾産の茶は評判を呼び、「我が朝の茶の窟宅は、栂尾をもて本となすなり」として栂尾産の茶を「本茶」、その他を「非茶」と呼んだ。
京都府京都市右京区と福井県敦賀市とを結ぶ一般国道「周山街道(別名、西の鯖街道)」沿いにある道の駅の一つ。 2010年、京都府京都市内では初めてとなる道の駅として開業。 ここでは地域名産の野菜や果物をはじめ、弁当や総菜、木工品、お土産などを販売する特産品直売所をはじめ、駐車場、休憩所、トイレ、情報コーナー、レンタサイクルなどがある。 また店内奥には地域名産や特産を使用した料理を味わうことができるレストランがある。
レストラン
メニューは鯛丼、うねぎの卵とじ丼、鴨ロース丼、天とじ丼、親子丼、京北うどん、京北産野菜たっぷりサラダうどん&京北山かけそばなど。
おばんざい定食
京都の郷土料理として人気を集めるおばんざい定食も。
緑豊かな環境に恵まれた公園として知られ、公園の周辺には上桂川が流れている。 園内にはキャンプ場が整備され、デイキャンプ場、オートキャンプ場、コテージ、炊事棟やシャワー室、トイレなどがあり、バーベキューなどを楽しむことができる。