茨木でイバラッキー♪穴場を楽しむで~
大阪茨木でイバラッキー♪穴場を楽しむで~
まいどまいど! 大阪府内でも北部に位置する茨木市には西日本旅客鉄道と阪急電車が東西に走り抜け、交通の要衝としてにぎわう一方、都市部を離れると自然豊かな山々に囲まれ、アウトドアを楽しむ家族連れに人気。 茨木里山センターでは廃校となった学校を再利用しようとキャンプ場が整備。 当時の校舎そのままを利用した建物とグラウンドで木工加工室やイベント、研究室、会議室、多目的室、展示室など充実してまんねん。 またここでは映画の撮影で利用されたといい、映画のファンが訪れる人気観光地にもなっているとか。 そんな茨木市も隠れキリシタンゆかりの地として知られ、博物館も開設。 当時の人の暮らしや歴史を詳しく知ることができます。 さて、そんな茨木市でんねんけど、なんやおもろいカフェがあるんやて? 見た目は遺跡。 でも中は囲炉裏などが展示され、カレーなどを味わうことのできまんねん。 なんやおもろい体験ができまっせ。 最後にダムの建設現場へ。 ダムの建設中(2021年3月現在)に訪れたスポットでんねんけど、ダムの建設は珍しいと記念撮影で訪れた人も多いとか。
別名、森の学び舎。 施設内ではキャンプ場が整備され、デイキャンプ場、オートキャンプ場、バーベキューコーナー、炊事棟やトイレ。 のこぎり、万力、カンナ、電動工具などがある木工加工室、研究やイベントに研修室、会議室、多目的室。展示室など。 かつて当地には1965年に開校した大阪府立春日丘高校泉原分校があったが閉校。 跡地は里山・森林整備に取り組んでいる地元のボランティアの活動拠点となり、里山センターとして整備された。
映画 葬式の名人
大阪府茨木市の市制70周年記念事業として、茨木市が全面協力で製作。 表題の「葬式の名人」の他、「十六歳の日記」「師の棺を肩に」「少年」「バッタと鈴虫」「片腕」等、川端康成の短編小説をモチーフに散りばめられた群像コメディで、主な撮影地となった大阪府茨木市では先行上映されたとか。 監督は樋口尚文・ 脚本は大野裕之。 主演は前田敦子。
映画 葬式の名人
作家として活躍した川端康成は大阪府大阪市北区天神橋生まれ。 一時、大阪府大阪市東淀川区で過ごすも大阪府茨木市に転居。 大阪府茨木市にある旧大阪府立春日丘高校泉原分校も撮影地の一つになったといい、撮影当時の写真が掲載された看板が展示されている。
施設内では、重要文化財に指定された聖フランシスコ・ザビエル像をはじめ、「開けずの櫃」と呼ばれる箱、重要美術品の「聖マリア十五玄義図」などが展示。
隠れキリシタン
高山右近の父・高山飛騨守はキリスト教の教えに感銘を受け、信仰。 大阪府高槻市の高槻城主でキリシタン大名の高山右近によってキリスト教が信仰。 豊臣秀吉、徳川家康は、キリスト教の布教を禁止、禁教令が発令。 以後、付近は隠れキリシタンとなり、信仰を密かに守りつづけた人々がいた。 キリシタン研究家の藤波大超が、当地を訪れ、研究・調査が活発となり、多くの家から隠れキリシタン遺物が再発見。
縄文時代の雰囲気をモチーフにしたカフェ。 縄文時代や弥生時代、江戸時代などにまつわる土器などが多数発掘された重要な歴史も感じつつ、バスに揺られて千提寺口バス停留所で下車。 周囲は、山々が連なり、棚田が広がる自然豊かな雰囲気が漂い、約15分、歩いた場所にカフェ「まだま村」が見えてくる。 大きな屋根は、琵琶湖の葦(よし)。 まだま村の「ま」は磨く、「だま」は魂を意味しているといい、入り口には、詩人坂村真民の作品として知られる「念ずれば花ひらく」と刻まれた石碑が。 また、建物は、直径12m、高さ11mの円錐型で、竪穴式。
店内には囲炉裏など
店内は、囲炉裏や舞台、テーブル席と座敷。
縄文田舎カレー
ゆったりとくつろげる雰囲気の中で、縄文田舎カレーを口にした。 他、縄文黒米そば、まだまゆば丼御膳、ケーキにドリンク、そして、予約制ではあるが、まだま村名物の「縄文ランチ」を味わうことができるとか。 とれたて新鮮野菜(自家製及び近くの農家で採れた野菜)を使用したヘルシー重視のカフェは、無添加で嬉しい!
高野山真言宗の寺院。 山号は賀峰山。 別名、寿命院。 本尊は薬師如来。 忍頂寺は竜王山(忍頂寺山)の麓に位置し、大阪みどりの百選に選定。 700年代、行基または開成王子が創建。 851年、勝尾寺三世証道上人の弟子三澄が国家鎮護のために開基。 当時、神岑山寺と称していたが、忍頂寺の寺号を贈られ、勅願寺となった。 鎌倉時代、仁和寺の支配を受け、南北朝時代に焼失。 織田信長によって保護を受けたが、キリスト教伝播の影響で焼失し、キリシタン大名の高山右近に寺領を没収された。 全盛期には寺坊23を有し、勝尾寺や神峯山寺などと並ぶ山岳修行(修験道場)の聖地であったが衰退した。
大阪湾に流れる河川の一つである淀川水系神崎川の右支川・安威川に建設中のダム(2021年3月現在)。 当地付近では古くから洪水が頻繁に発生し、対策として堤防築堤などが採られてきた。 1967年、集中豪雨が発生し、多大な被害が及んだため、茨木市・高槻市・摂津市・吹田市・大阪市がダムによる抜本的な河川整備を要求。
一望
1976年、計画発表するも水没地域は住宅地であり、住民の多くが反対を表明。 1993年、水源地域対策特別措置法(水特法)の指定を受けて交渉も決着。 2014年、本体工事に着手。 付近の山頂からはダムやその周辺を一望することができ、ダムに関する展示室も設置。