ここは新宿。情緒あふれる神楽坂を歩く
東京ここは新宿。情緒あふれる神楽坂を歩く
まいどまいど! 昔ながらの雰囲気漂う神楽坂を散策していきまひょ。 神楽坂は東京都新宿区にあり、閑静な住宅街の一角に位置してはりまんな。 中心部には緩やかな坂があり、その道路沿いにはぎょうさんのおしゃれなお店、狭い路地には階段があり、趣のある外観が特徴の料亭も。 そんな中で目立つのが、日蓮宗の寺院である善国寺。 本尊の毘沙門天は「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれてまんねん。 現在は新宿山ノ手七福神の一つとして知られてはりまんな。 ほんで現地を訪れて気づかされるのが「横丁」と名の付く道の多さ。 特に本多横丁は「神楽坂最大の横丁」として知られ、かつては旗本の本多氏が屋敷を置いていたとか。 また、東京理科大学や関東の名門である早稲田大学に近く、学生の町としてのにぎわいを見せる一方、緑豊かな後楽園、プロ野球・読売ジャイアンツが本拠を置く東京ドームにも近く、いろんな楽しみ方がおまっせ。 さあ、緩やかな坂が続き、ちょっとした散歩にもおすすめな神楽坂を散策しまへんか。 ほな、まいどおおきに。
早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂。 大久保通りとの交差点が「坂上」、外堀通りとの交差点が「坂下」。 「神楽坂」には高田穴八幡の旅所が鎮座し、祭礼で神輿が通行するときに神楽を奏したことから地名の由来。 また「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたから。 1620年頃、津久戸明神が牛込の地に移転の時、神輿が重くこの坂を上ることができなかった。 神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたとも。
坂下と坂上
神楽坂は、全国的にも珍しい逆転式一方通行、自動車などの進行方向が午前と午後で逆転する。 午前は「坂上」から「坂下」方向へ、午後は「坂下」から「坂上」方向へ。 神楽坂付近は大正時代、隆盛を誇った花街で飯田橋駅を背にした坂の右手に残る花街特有の路地は、日本でもここにしかないとも。 1923年に発生した関東大震災以後、日本橋・銀座方面より商人が流入、夜店が盛んになり、山の手銀座とも呼ばれた。
神楽坂
尾崎紅葉旧居跡は新宿区指定史跡、泉鏡花の旧居跡は新宿区登録史跡。 坂下(飯田橋側)に位置していたパラパラの殿堂ディスコ「ツインスター」は1992年に開店、2003年閉店。 毎年夏、神楽坂まつりのメインイベントとして阿波踊り大会が開催。 1972年、神楽坂まつりは神楽坂商店会が中心となって始められ、阿波踊り大会にはかぐら連やだむだん連などが参加。
岡田寒泉は江戸時代の儒学者で政治家。 通称、清助。 1740年、江戸牛込生まれ。 1789年、松平定信に抜擢されて幕府儒官となり昌平黌(昌平坂学問所)で経書を講じた。 柴野栗山(彦輔)・尾藤二洲(良佐)とともに「寛政の三博士」と呼ばれ、寛政の改革で学政や教育の改革にあたった三人の朱子学者の一人(寒泉が常陸の代官に転じた後は古賀精里が登用)。 1794年から1808年まで代官職として現在の茨城県内の7郡82村5万石余の地を治めた。 1790年、幕府から土地を与えられ、家塾「寒泉精舎」を開く。 官職を辞して授読講義を行い、間宮士信も活況の様子を「寒泉先生行状」に記した。 1815年、閉鎖。
戦国時代、牛込城の武器庫(兵庫)があったことが名称の由来。 石畳の路地には老舗の料亭など。
野坂昭如氏や山田洋次氏ら
横丁内の旅館では、野坂昭如氏や山田洋次氏などが滞在、数々の名作を誕生させたとか。
飲食店を中心に50以上の店舗が軒を連ねている。 「神楽坂最大の横丁」とも。 江戸時代から明治時代まで、旗本の本多対馬守として活躍した本多家の屋敷が位置していたといい、「本多横丁」という名称の由来とも。 また、「本多修理屋敷脇横町通り」とも呼ばれ、周辺のかくれんぼ横丁や芸者新道にも接続する。
日蓮宗の寺院。 通称、神楽坂毘沙門天、神楽坂の毘沙門さま。 旧本山は大本山池上本門寺で鎮護山善国寺。 開基は徳川家康。 開山は日惺上人。 1595年、池上本門寺第12代貫主である日惺上人により馬喰町に創建するも麹町に遷座。 1793年、現在地に遷座。 本尊の毘沙門天は「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれた。 現在は新宿山ノ手七福神の一つ。 本堂の左右には阿吽一対の狛虎像が設置。
別名、赤城大明神、赤城明神社。 祭神は岩筒雄命、赤城姫命。 岩筒雄命は火の神の迦具土神より生まれ、経津主神の親神にあたる。 赤城姫命は神社を創建した大胡氏の息女、別当寺である東覚寺の本地仏であった。 1300年、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、牛込早稲田の田島村に創建。 1444年、大般若経が奉納。 1460年、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に遷座。 1555年、大胡宮内少輔により現在地に遷座。 徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。 1868年、改称。 2011年、グッドデザイン賞を住宅部門、ビジネスソリューション部門で受賞。
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「桜山豚」等など国産銘柄豚とんかつを中心に味わうことのできる専門店。 メニューはロースカツ、ヒレカツ、メンチカツ、ミックスフライ、チキンカツなど。 その他、ロースカツ弁当などテイクアウトも。