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いなぼうとあそぼう!多田銀銅山「千成瓢箪」も美味しい!

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    観光

いなぼうとあそぼう!多田銀銅山「千成瓢箪」も美味しい!

まいどまいど! 山間い囲まれた自然豊かな地域の一つである兵庫県の猪名川町。 ここではイノシシを使用した料理や蕎麦などが有名で、地元の名物・名産の一つともなってまんねん。 特におすすめしたいのが、多田銀銅山「千成瓢箪」という名のついたお菓子。 多田銀銅山「千成瓢箪」とはもともと猪名川には銀銅山があり、古くは大仏鋳造用に。 平安時代、源満仲も重宝したとされ、のちに幕府の管轄にもなったとか。 そんな多田銀銅山では豊臣秀吉もゆかりがあるとされ、「千成瓢箪」という名の由来に。 また銀銅山周辺には坑道も多く、かつての時代を偲ぶこともできまんねん。 採掘場は現在、閉鎖されて観光用として整備、実際に見学することもできまんねん。 そのほか、日本最古のトンネルとの噂のくろまんぷもあり、一見の価値があるのとちゃいますやろか。 いろんな歴史や伝説の残る兵庫県の猪名川町。 ぜひ皆さんも一度はドライブしてみてください。

  • 兵庫県川辺郡猪名川町で活躍するキャラクター。 2007年、「清流猪名川を取り戻そう町民運動」のキャラクターとしてデビュー。 いなぼうという名前の由来は、猪名川の「いな」と、猪の子どもの呼び名「うりぼう」とをあわせたという。 誕生日は、6月1日。 性別は、男の子。 年齢は、小学生。 趣味は、川遊び。

  • 2000年、兵庫県道12号川西篠山線、兵庫県道68号川西三田線の道の駅として登録。 名物・名産が多く販売、その中の一つが多田銀銅山「千成瓢箪」。 多田銀山とは兵庫県川西市と猪名川町、大阪府池田市にまたがる銀山。 主な鉱石は黄銅鉱、斑銅鉱、方鉛鉱、輝銀鉱、自然銀で鉱脈の成因は熱水鉱床。 天平時代、銅山として開発、神教間歩から産出した銅は東大寺の大仏鋳造用に使用とも。 平安時代、源満仲が多田荘に館や多田院を設けて開発。 「銀山三千軒」と呼ばれるほどにぎわう。 明治時代、三菱が稼行。 1944年、日本鉱業が操業するも1973年に閉山。

    • 猪名川名物の多田銀銅山「千成瓢箪」と豊臣秀吉

      猪名川名物の多田銀銅山「千成瓢箪」と豊臣秀吉

      天正年間、銀を産出する豊臣秀吉の直轄領。 大坂城の財政を潤した台所間歩や、千成瓢箪の馬印を入口に立てて採掘した瓢箪間歩等、秀吉ゆかりの坑道が今も残る。 寛文年間、銀および銅の産出が急増、銀山に代官所が設置、銀山村が形成され天領となり幕府が支配。 寛永年間、南蛮吹による精錬が行われ、荒銅より灰吹銀が採取、抜銀された精銅は大坂銅吹屋へ送られ、長崎御用銅とされた。 1840年、高槻藩、大坂代官所に。

  • 木津から林田に通じるトンネル。 別称、くろまんぷ。 1881年、柏原村に住む福井伊之助が工事を請け負うも固い岩盤、所々にある軟岩の崩壊で難工事であったが、工費の不足分は柏原の有志が私財を投げ打って完成、明治の隠れた偉業とも。 現存する石製トンネルとしては日本最古とも。 「くろまんぷ」の元となった岩肌は現在、コンクリートで補強。 鉱山等で坑道を意味する間歩(まぶ)から転化してマンプと呼ぶようになったとか。 杤原バス停付近には煉瓦作りの「明マンプ」(あかまんぷ)と呼ばれた杤原トンネル跡があり、明治時代に完成するも閉鎖。 かつては篠山の歩兵第70連隊、伊丹の大阪第4師団とを結ぶ重要な軍用道路にも。

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