なべよこで発見!中野の日常
東京なべよこで発見!中野の日常
まいどまいど! 東京都の中野区にはJR東日本中央東線、総武線、西武鉄道新宿線、東京地下鉄丸ノ内線、東西線、東京都交通局都営大江戸線が走り抜け、東京を代表する繁華街・新宿にも近く、人気がある街の一つでんねん。 中野区では杉並区にある妙法寺への参詣道として古くから賑わいを見せ、参拝客でにぎわってはりまんな。 また、鍋屋横丁交差点付近にはかつて茶店「鍋屋」があったといい、現在もその歴史が語り継がれてまんねん。 その他、全国的にも珍しい租税の資料館もおまっせ。
1878年、「ほりのうちへ十八丁十間」と妙法寺までの距離が刻まれた道標が建立。
鍋屋横丁
江戸時代、お祖師様として親しまれた妙法寺への参詣道の入り口を示し、鍋屋横丁という名の由来となった茶屋「鍋屋」の証しも刻まれている。
東京都中野区にある横丁・商店街。 通称、鍋横、なべよこ。 鍋屋横丁交差点で青梅街道(本町通)と交差する。 江戸時代、妙法寺(東京都杉並区堀ノ内)の参拝道(参道)として栄えた。 当時、鍋屋横丁交差点付近には茶店「鍋屋」が営業し、目印となっていたことから、「鍋屋の横丁」と呼ばれようになった。 新宿と荻窪とを結んでいた東京都交通局による都電杉並線が開通するも廃線。 8月の第一土曜日と日曜日には「なべよこ夏まつり」が開催され、阿波踊り・沖縄エイサー等が披露される。
江戸時代、毎年4月から9月まで水田用水を取る堰が築かれていた。 この堰から、幅約2mの用水堀が流れ、水田を灌漑していた。 田植が始まる前の4月、農家の住民が集まり、水堀の手入れをしてから、川岸の葦を編んで川に渡してある大丸太にかけ、堰をつくって堀へ水を分流した。 この堰のあたりは、行者が潔斎をする神聖な場所とされ、毎年5月6日、「ぼんぜん(ぼんてん)」として行者の水あび修行のあとその御幣を各戸へ配ったとか。 大正時代、用水堀には、どじょう、ふななどが群れ、螢が舞っていたとか。 現在、護岸工事によって神田川の岸が高くなり、堀も埋め立てられて姿を消した。
1964年、この溜めマスは地下鉄東西線竹橋駅付近の建設工事現場から発見された。 江戸時代に敷設されたものとされ、当時、神田上水だけで64kmに及ぶ木樋と3600余りのマスが敷設されたが、その多くが木製で石造りのものは少なく万年マスと呼ばれていた。
租税に関する国内外の資料を収集、公開している施設。