さぬき高松うどん駅から出発!
香川さぬき高松うどん駅から出発!
まいどまいど! 最近のうどんブームにより注目を集めている香川県高松市。 高松市内の中心部に位置する高松駅は通称、さぬき高松うどん駅とも呼ばれ、周辺にはうどんを販売するお店がずらりとおまっせ。 食べ比べするもよし。 のんびり観光するもよし。 のんびり観光を楽しむなら駅前にある高松シンボルタワー内の観光案内所で情報収集がおすすめでんねん。 ここでは、高松市内はもちろん、香川県やその周辺の観光案内や情報発信などを行ってまんねん。 特に高松城址周辺に整備された玉藻公園では現在、天守はないものの、月見櫓、艮櫓、水手御門、渡櫓などが現存。 桜の馬場は桜の名所として知られまんねん。 また、国の特別名勝に指定された回遊式大名庭園(日本庭園)として知られる栗林公園もおすすめ。 紫雲山の麓に所在しているため、紫雲山を背景として池と築山を配する。 園内ではカエデ、ツツジ、マツ、ウメ、サクラ、ハス、ショウブ、ハギなどが植樹され、四季折々の景観を楽しむことができまっせ。
四国旅客鉄道(JR四国)予讃線(瀬戸大橋線)、高徳線の停車駅の一つ。 土讃線・本四備讃線も乗り入れ。 愛称、さぬき高松うどん駅。 キャッチフレーズは、瀬戸の都、四国最北端の駅。 1897年、高松市扇町2丁目付近で讃岐鉄道汽船会社の1代目駅舎として開業。 通称、西浜ステーション。 1904年、山陽鉄道に移管。 1906年、山陽鉄道の国有化により日本国有鉄道となった。 1910年、高松港近くに移転、2代目駅舎が開業。 1959年、高松桟橋駅が廃止、高松駅に統合、3代目駅舎が開業。 1987年、国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道となった。 2001年、港頭地区再開発に伴い、4代目駅舎として開業。
香川県高松市の高松港を構成する再開発地区の名称、および施設群の総称。 かつて高松貨物駅が存在した。 1999年、瀬戸の都として再開発。
シンボル
JR四国の高松駅をはじめ、高松シンボルタワー、高松サンポート合同庁舎、高松港旅客ターミナルビルなどの大規模施設が立地。
愛称、赤灯台。 1964年、初点灯。 海上保安庁第六管区海上保安本部が管轄する塔高は14.2m。 設計は、日本航路標識協会。 当初、高松港西防波堤灯台として防波堤に設置されたが、サンポート高松に伴う港湾事業によって改築移設。 1998年、現在地で初点灯。 世界初の総ガラス張りの灯台。 1999年、第6回空間デザインコンペティション銅賞を受賞。
香川県高松市で高松港を中心とするサンポートに所在する超高層ビル。 2004年、高松貨物駅跡地に建設され、高さは約151.3m。 四国地方で最も高い建築物で商業施設、イベントホールなどを擁する複合商業施設として竣工。 建設当時、中四国一の高さであった広島市のNTTクレド基町ビル(約150m)を超えるために計画されたが、広島市のアーバンビューグランドタワーの竣工に伴い、「中四国一」の称号は得られなかった。
高松市を中心とする香川県内の情報発信、観光案内、プロスポーツの紹介などを行っている交流拠点。 かがわ発見ゾーンでは、かつての街並み。 クイズラリーでは、さぬきうどんや瀬戸内海、自然・歴史・文化を体験できる。
1955年、香川県高松市内にある高松城址周辺に整備された公園。 現在、天守はなく、月見櫓、艮櫓、水手御門、渡櫓などが現存する。 桜の馬場は桜の名所として知られている。 外堀と内堀には海水が引き込まれ、牡蠣などの貝が生息し、鯛も放流されている。
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高松琴平電気鉄道琴平線、長尾線の停車駅の一つ。 1948年、築港駅として開業。 1953年、志度線の乗り入れを開始。 1954年、高松築港駅に改称。 1994年、志度線に代わって長尾線が乗り入れを開始。
車両
高松琴平電気鉄道琴平線、長尾線。
別名、玉藻城。 玉藻とは柿本人麻呂は万葉集で讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに因む。 1587年、豊臣秀吉の四国制圧後、生駒親正は引田城に入城後、聖通寺城に移る。 1588年、「野原」と呼ばれていた港町に高松城を築城。 1639年、生駒氏4代・高俊、生駒騒動により出羽国矢島藩に転封。 1642年、水戸藩・徳川頼房の子の松平頼重、頼常によって改修。 1644年、飲料水確保のため水道を造り、亀井・大井戸・今井戸より水を引く。 1669年、小倉城を模した天守が完成。
公園内には
頼重は隠居のため、栗林公園を造築。 1869年、版籍奉還のため廃城。 1884年、老朽化のため天守が破却。 解体前イギリスの週刊新聞「ザ・グラフィック」でイギリス人のヘンリー・ギルマールの絵によって紹介。 日本100名城(77番)に選定。 かつて城壁が瀬戸内海に面し、外濠・中濠・内濠に海水が引き込まれ、軍船が出入りできた日本初の本格的な海城。
水府流水任游泳術
水戸藩・徳川頼房の子の松平頼重が高松藩高松城に入城し、「讃岐の国は海辺の国なれば水練は武道の一斑たるべし」として今泉八朗左衛門に命じ、藩士水練の指導をさせた。 また自らも泳法を磨いたとか。 高松藩の水術は水戸藩の水術「水府流」を源流とし、「高松御当所流」と呼ばれていた。 以後、正式名称「水任流」となり、松平家第13代松平賴明氏を会長する水任流保存会が結成。
1917年、松平家の高松別邸として竣工した近代和風住宅建築。 施設内では表玄関、蘇鉄の間、大書院、槇の間、松の間、桐の間、杉の間、中庭などで構成。
国の特別名勝に指定された回遊式大名庭園(日本庭園)。 紫雲山の麓に位置、紫雲山を背景として池と築山を配する。 園内では楓、ツツジ、松、梅、桜、蓮、菖蒲、ハギ等が植樹。 1600年代、生駒氏の家臣・佐藤道益の居宅の作庭。 1642年、高松藩初代藩主・松平頼重は栗林荘に御殿を建設。 1745年、第5代藩主頼恭が名所60景を撰名、作庭が完成。 1869年、版籍奉還により栗林荘が官有となる。 1875年、公園となった。 以後、皇太子(大正天皇)、皇太子(昭和天皇)、淳宮(秩父宮雍仁親王)、光宮(高松宮宣仁親王)、昭和天皇、香淳皇后、三笠宮崇仁親王らが来園。 1930年、栗林公園動物園が開園(閉園)。
戦後
1945年、旧日暮亭を移築、新日暮亭となった。 1949年、高松観光大博覧会(第2会場)が開催。 1949年、高松美術館(高松市立美術館)が開館(閉館)。 1965年以後、讃岐民芸館(古民芸館)、新民芸館、家具館、瓦館が開館。 2013年、かがわ物産館(栗林庵)が開設。
三木武吉
1884年、香川県高松市で骨董商・三木古門の長男。 香川県立高松高等学校時代、うどん食い逃げ事件の首謀者として退校処分、京都の同志社中学(同志社高等学校)に転入後、乱闘事件を起こして放校。 上京して星亨の法律事務所に住み込むが、星が暗殺された。 早稲田大学に入学後、新宿で女遊びに明け暮れ、卒業後、早稲田大学図書館で写字生として働いた。 1905年、日本銀行に入行し門司支店に配属。
三木武吉は政治家として
ポーツマス条約に反対する政府弾劾演説会に参加、桂太郎内閣退陣を要求する演説をして服務規定違反を問われ免職。 1907年、高等文官試験(司法科)に合格、東京地方裁判所司法官補に任じられたが、弁護士に転身、天野かね子と結婚。 1913年、牛込区議会議員に当選後、憲政会に入党、衆議院議員に当選。 鳩山一郎の盟友で自由民主党を結党、保守合同を成し遂げた。 ヤジ将軍、策士、政界の大狸などの異名を取った。
五色台という名称は、古代中国の陰陽五行説に由来。 五色の名の付いた紅ノ峰、黄ノ峰、青峰、黒峰、白峰山がある。 1950年、瀬戸内海国立公園に指定。 五色台園地の他、崇徳天皇白峯陵、四国八十八箇所霊場の白峯寺、根香寺、瀬戸内海歴史民俗資料館、五色台少年自然センター、観光果樹園、宿泊施設などが散在。 国分台遺跡では旧石器時代のサヌカイト(讃岐石)製のナイフ形石器などが出土した原産地遺跡として知られる。 石を叩くとカンカンという音が鳴るため、「カンカン石」として販売。 世界で唯一のサヌカイト製の石琴(リソフォン)などが製作。
世界で唯一
五色台は新生代中新世の約1300万年前から約1500万年前の瀬戸内火山活動の溶岩などでできた讃岐層群から構成。 基盤の花崗岩の上に、凝灰岩・火山角礫岩・讃岐岩質安山岩・讃岐石(サヌカイト)が重なる。 サヌカイト溶岩が地表で分布する世界で唯一の場所。
休暇村讃岐五色台
客室からは五色台の自然豊かな景色や瀬戸内海や四国と本州とを結ぶ瀬戸内海などを望むことができる。
休暇村讃岐五色台
レストランでは香川県を代表する郷土料理として知られるうどんや刺身などを味わうことができる。
休暇村讃岐五色台
レストランでは香川県を代表する郷土料理として知られるうどんや刺身などを味わうことができる。
休暇村讃岐五色台
レストランでは香川県を代表する郷土料理として知られるうどんや刺身などを味わうことができる。
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香川ブルワリーが醸造する地ビール。 ドイツのビールを元に研究、改良を重ねて販売。