御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)。皇室の御祖神(みおやのかみ)として天皇と共にあったが、10代崇神天皇の時、倭姫命(やまとひめのみこと)を御杖代(みつえしろ)にこの地に鎮座した。
御正殿
宇治橋、参道ともに「中央は神の道」として神職は端を通る。写真撮影は石段の下まで可。 通常の参拝は白絹の手前で。遷宮のための寄進などすると御垣内(みかきうち)参拝の機会が得られる。この場合は衣服を整えて。さらに奥に入れるのは総理大臣クラス、一番奥までは天皇のみとなる。
千木
千木(ちぎ)の切り方が 外宮とは異なる。
御祭神は、豊受大御神(とようけおおみかみ)。天照大御神の食をつかさどる御食津神(みけつかみ)として、丹波国から迎えられた。
御正殿
御正殿の隣の古殿地には 20年ごとに新しい社(やしろ)が建設されて、遷宮が行われる。これは神の再生でもあり、技術の伝承の機会ともなる。 古い社はていねいに解体される。表面を削って新品同様になった建材は、運ばれて 関連末社の遷宮で使用される。
千木
千木の先端の切り方が 内宮とは異なる。
せんぐう館
御正殿の実物大の模型や、御神宝製作の様子、御正殿の古い扉なとが展示されている。
現在の地に定まるまで、倭姫命は長く旅を続けた。一時的にも八咫の鏡を納めた場所は、元伊勢と呼ばれる。別宮は10社である。
御正殿
瀧原宮と瀧原竝宮がある。
神嘗、新嘗その他の祭事には皇室からの幣帛がある。
猿田彦神は、伊勢神宮が現在の地に鎮座するにあたり重要な役目を果たしたとされ、「みちひらきの神」として信仰される。
謎
全国の猿田彦神社の総本社は、鈴鹿山麓の椿大社であるとされる。しかし神社同士の関係は、椿大社より猿田彦神社の方が深い神社が多い。
神宮の公益事業として設立された。遷宮により役目を終えた御神宝を間近に見ることができる。
御神宝の太刀
神宮に奉納された大家の絵画なども多く納められている。
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地元で長く伝えられてきた斎宮伝説が、発掘により確認され、国の史跡指定となったのは、昭和54年。昭和45年の宅地開発計画がきっかけだった。
屋内外の展示
神宮に重要な役目を果たしてきた斎宮について詳しく知ることができる。県立施設なので月曜定休だが、屋外展示の見学は自由にできる。
斎宮とは
未婚の皇女が、身を潔斎して神に仕えたのが斎宮。
海水から塩を作り、神宮に納める。2000年の間、変わらぬ手法。
広く清浄な塩田
百人一首の和歌のフレーズ、焼くや藻塩の・・・は この作業を指すのだろうか。
独特な形に固めます
綺麗なサンドカラーは、ミネラル分がたっぷりだからか。