
梅原猛の「葬られた王朝」散歩
島根梅原猛の「葬られた王朝」散歩
梅田猛氏は、藤原不比等が古事記神道というべき神道を創造し日本国家の宗教を司る権利を独占するとの強い意志を持っていた、と説いている。 三輪山を中心とする前代の王朝を鎮魂するための祭り事でありかつ政でもあった大和王朝にとって、その鎮魂の神事の主役を物部氏から藤原氏が奪う為に、古来からの神話である古事記に藤原氏の氏神を巧みに盛り込んむことに成功した。その象徴的建造物が驚くべき巨大な建物である出雲大社であった、と梅田猛は説いている。 その結果、それから千年もの間、藤原氏が天皇のお側に使えて実権を握ることになった。それが大宝律令の中身であり、天皇はその時から象徴となり藤原不比等の子孫が代々実権を握った。稗田 阿礼 (ひえだ の あれ)は、藤原不比等は同一人物であると結論づけている。
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梅田猛氏は、藤原不比等が古事記神道というべき神道を創造し日本国家の宗教を司る権利を独占するとの強い意志を持っていた、と説いている。 三輪山を中心とする前代の王朝を鎮魂するための祭り事でありかつ政でもあった大和王朝にとって、その鎮魂の神事の主役を物部氏から藤原氏が奪う為に、古来からの神話である古事記に鹿島神宮に祀られている藤原氏の氏神を巧みに盛り込んむことに成功した。その象徴的建造物が驚くべき巨大な建物である出雲大社であった、と梅田猛は説いている。 その結果、それから千年もの間、藤原氏が天皇のお側に使えて実権を握ることになった。それが大宝律令の中身であるとする。
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藤原氏の氏神であるタケミカヅチを祀る。 そのタケミカヅチを古事記で大国主に対して国譲りの談判を行った神として登場させたのが藤原不比等の創作だと梅原猛氏が発表している。 また、神武天皇東征で熊野で危うくなった時に突然出現してきて剣を与えたのがタケミカヅチである。この部分も藤原不比等の巧みな創作としている。 その剣が石上神宮の御神体になっている。つまり、藤原家の氏神が古代の神の中で重要な神として創作されているとしている。このストーリが面白い。
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古代の遺跡
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古代の遺跡
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神原神社古墳 出雲国風土記によると、ここはオオクニヌシの宝を積んであった郷なので本来は、神原ではなくかむたから(神財)とすべきところを誤って神原としたとある。その地にある四隅突出型墳丘墓はオオクニヌシの子孫の墓ではないかという説もある様だ。丸太をくり抜いた棺中に卑弥呼が贈られた100枚の内の1枚が発見された事は、大和朝廷からかなり重んじられていた人物と想像される。
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猪目洞窟 出雲国風土記では、黄泉の坂、黄泉の穴、と呼ばれ恐れられていたとの事。揖夜神社近くには古事記の黄泉つ平坂の伝承地がある。
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“最後には女神イザナミの命が御自身で追つておいでになつたので、大きな巖石をその黄泉比良坂に塞いでその石を中に置いて兩方で對い合つて離別の言葉を交した時に、イザナミの命が仰せられるには、「あなたがこんなことをなされるなら、わたしはあなたの國の人間を一日に千人も殺してしまいます」といわれました。そこでイザナギの命は「あんたがそうなされるなら、わたしは一日に千五百も産屋を立てて見せる」と仰せられました。こういう次第で一日にかならず千人死に、一日にかならず千五百人生まれるのです。その黄泉の坂に塞がつている巖石は塞いでおいでになる黄泉の入口の大神と申します。”
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古事記によると、 “このお隱れになつたイザナミの命は出雲の國と伯耆の國との境にある比婆の山にお葬り申し上げました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 写真にある揖夜神社の拝殿が、イザナミが葬られた比婆の山に向かって建てられています。
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肥の河上、トリカミ(八岐大蛇公園) “スサノヲの命は逐い拂われて出雲の國の肥の河上、トリカミという所にお下りになりました。この時に箸がその河から流れて來ました。”
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コシの八俣の大蛇 天が淵 天が淵 ヤマタノオロチが住んでいたと言われる場所。“コシの八俣の大蛇が毎年來て食べてしまいます。”
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尾留大明神旧社地 スサノオが、ヤマタノオロチの尾を切り裂いて草薙剣を得た場所。
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八本杉 ヤマタノオロチの首塚。その杉の根元に切り落とされた8つの首が埋められたという。
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佐世神社 ヤマタノオロチを倒したスサノオが頭に佐世の木の青い葉を挿してクシナダヒメと一緒に踊ったという伝承の残る佐世神社。
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斐伊神社 ここに祀られているヒハヤヒコノミコトが八岐大蛇であると言われているとの事。
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ここの宮司は、スサノオとクシナダヒメの子であるアオハタサクサヒコの子孫にあたるという。佐草氏の苗字を持っている。
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木の俣の神を祀る御井神社 “ヤガミ姫は前の約束通りに婚姻なさいました。そのヤガミ姫を連れておいでになりましたけれども、お妃のスセリ姫を恐れて生んだ子を木の俣にさし挾んでお歸りになりました。ですからその子の名を木の俣の神と申します。またの名は御井の神とも申します。” 因幡のヤガミヒメがオオクニヌシに会うためにこの地に来た時に急に産気付きここで出産したとの事。その御子を木俣にかけてそのまま因幡に帰ってしまった。この神社にはこの子キマタノカミが産湯を使ったという3つの井戸がある。
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“スサノヲの命は逐い拂われて出雲の國の肥の河上、トリカミという所にお下りになりました。この時に箸がその河から流れて來ました。(中略)かくしてスサノヲの命は、宮を造るべき處を出雲の國でお求めになりました。そうしてスガの處においでになつて仰せられるには、「わたしは此處に來て心もちが清々しい」と仰せになつて、其處に宮殿をお造りになりました。それで其處をば今でもスガというのです。この神が、はじめスガの宮をお造りになつた時に、其處から雲が立ちのぼりました。依つて歌をお詠みになりました” 写真は、その住居跡との伝説がある須我神社です。
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熊野大社 出雲国の一ノ宮であり、かつてはうお川の川上にある天狗山にあったが、中世以降に里に下り、上の宮と下の宮の二社になったとの事。上の宮にはイザナミ、コトサカノオを祀り、下の宮にはアマテラスとスサノオを祀っている。本居宣長は、この神社の第一の祭神はスサノオであるとしているとの事。
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この磐座は、通称「夫婦岩」は大きい岩がスサノオ、次に大きいのが妻のクシナビタヒメ、そして小さな石が息子のヤシマジヌミとされているそうです。
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ここはスサノオが晩年を過ごした場所であるとされる。つまり最初に須我神社のある場所に住み、そこから北に5キロほどのところにある八重垣神社に住み。晩年はここに住み人生を終えたと言われている。なお、日御碕にはスサノオの墓と言われる伝承の地がある。
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スサノオの命の墓と言われている。
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鑚火殿 スサノオが檜の臼と卯木の杵で火をきり出す方法を教えたとの事。そのひき臼とひきり杵がここに奉安されているとの事。出雲大社の宮司が亡くなり新しい宮つかさに代わる時、ここで火継ぎの式が行われるとの事。
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城名樋山城跡 黄泉の国から帰ったオオクニヌシが八十神を討つために最初に建てた城がここであると言われている。そこに大磐石の上に宮柱を太く立て、大空に高く棟木を上げて住んだとしている。
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斎場跡
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出雲國二之宮 佐太神社 のべ7日間の出雲大社での神在祭の後、神送りの神等去出神事が行われ、神々がここ佐太神社に移る。この神在祭はオオクニヌシの葬儀に全国の神々が集まり、神議が行われる祭事であるとの事。
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長浜神社 ヤツカミヅオミツノを祀る神社。この名は古事記や日本書記には記されていないが出雲国風土記に記されている。スサノオに始まる出雲王朝の中興の祖であるとされる人物。スサノオとクシナダヒメとの息子にあたる。
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スクナヒコナとオオクニヌシとは美保関で出会いの港。スクナヒコナは温泉療法を含めた医療技術や酒造技術を広めたと言われている。
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玉作湯神社 オオクニヌシと一緒に国造りをしたスクナヒコナが祀られている。スクナヒコナとオオクニヌシとは美保関で出会い、スクナヒコナは温泉療法を含めた医療技術や酒造技術を広めたと言われている。
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佐太神社での神在祭が終わると、その翌日にはこの神社において神議の締めくくりと直会が催され、翌る日の早朝に全て神々がここから全国に旅立つと言われている。