
出世の城と出世城下町
静岡出世の城と出世城下町
まいどまいど! 江戸(東京)で江戸幕府を開いた徳川家康公の出身地といえば、静岡県浜松市もその一つでんな。 日本では徳川家康公をきっかけに江戸時代は15代まで続き、今もその偉業は学校の教科書に取り上げられるなど語り継がれてはりまんな。 そもそも徳川家康公は竹千代として岡崎城(愛知県岡崎市)で生まれ、駿河(静岡県静岡市)などで幼少期を過ごした。 後に駿河城や浜松城で過ごした他、織田信長と豊臣秀吉と縁が深く、大阪城(大阪府大阪市)でも過ごしていた。 特に浜松城では出世城との異名を持っており、城址は史跡公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれている。 また、徳川家康公は戦国時代で何度もの戦を勝ち抜いた堅苦しい印象もある一方、浜松城内の博物館ではちょっと変わった一面も紹介されている。 さて、かつては徳川家康公が過ごした静岡県浜松市はどんな町なのか。 これからじっくりとご紹介していきまひょ!
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歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」と呼ばれている。 1400年代、曳馬城が築城。 築城時の城主は不明。 1500年代、今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていた。 1570年、徳川家康が曳馬城に入城し、浜松城へと改称。 城域の拡張や改修を行い、城下町の形成を進めた。 浜松城は、土造りの城であった。 関ヶ原の戦い以後、徳川家譜代大名の居城となり、城主は九家二十二代に引き継がれた。 天守は堀尾氏在城期に創建された。 1873年、廃城令によって廃城。
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徳川家康像
徳川家康公の像が建立されている。
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再建
1958年、鉄筋コンクリート製の天守が再建された。 2017年、続日本100名城(148番)に選定された。
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浜松城内では
浜松城内では現在、30歳の頃の家康の肖像をはじめ、武具、浜松城の城下町の模型が展示、保存されている
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展望台
最上階は展望台となっており、浜松市街を一望することができる。
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展望台
最上階は展望台となっており、浜松市街を一望することができる。
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展望台
最上階は展望台となっており、浜松市街を一望することができる。
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展望台
最上階は展望台となっており、浜松市街を一望することができる。
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展望台
最上階は展望台となっており、浜松市街を一望することができる。
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出世大名家康くん
出世大名の一人として知られる徳川家康公がモチーフ。 チャームポイントは、浜名湖のうなぎのちょんまげ。 性格はやらまいか精神旺盛で前向き。 特技は、浜松出世音頭を踊ること。 将来の夢は浜松市が日本一元気な町になること。 浜松城やその周辺のイベントで活躍する。
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出世法師直虎ちゃん
出世法師の一人として知られている井伊直虎。 チャームポイントは、視野の大きい大きな目、聞き耳で鋭い勘。 性格は、強気。 特技は、浜松出世音頭を踊ること。 将来の夢は浜松市が女性や子供たちによって住みやすい町になること。 浜松城やその周辺のイベントで活躍する。
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1573年、武田信玄軍を相手とする三方ヶ原の戦いで敗れ、浜松城に逃げ帰った徳川家康公が、鎧を脱いでこの松に掛けたという。 現在の松は3代目で、初代の松は浜松城内の堀の近くにあったとか。 また、三方ヶ原の戦いには伝説があり、逃げ帰る途中で近くの茶屋に立ち寄って小豆餅を食べていた。 その時、武田軍に見つかり追ってきたため、家康は代金を払わずに馬に乗って逃げた。 しかし、茶屋の老婆は走って家康を追いかけ、家康に代金を支払わせたという。 以後、支払わせた場所は地名「銭取」として残り、「小豆餅」は町名として存在する。
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浜松城の前身にあたる引間(曳馬、引馬)城があった地に建立された。 祭神は、徳川家康、事代主命、大国主命。 1400年代、引間城が築城され、その跡地に東照宮が建立。 1570年、徳川家康が入城し、浜松城へと改称したが、米蔵として利用されている。 1877年、元幕臣で静岡藩の浜松城代であった井上延陵が東照宮の建立を考案。 神社の石材には、延陵の故郷である宮崎県の石材が使用された。 竣工後、遠江国報徳社(大日本報徳社の前身)に管理を委託したが、浜松市議会議員で弁護士の大石力が維持・管理を行った。 1945年、太平洋戦争の浜松空襲によって焼失したが再建。
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元城町東照宮(旧引間城)
拝殿前の石段下には1901年に建立された井上延陵の高さ台石共に3.5mの巨碑が建立。 元城町東照宮(旧引間城)は豊臣秀吉や徳川家康にゆかりがある。 特に秀吉は引間城を訪れ、猿まねをして栗を食べたという逸話も残っている。 2015年、徳川家康公顕彰400年記念事業の一環で、ブロンズ像が設置された。
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1400年代、曳馬城が築城。 築城時の城主は不明。 1500年代、今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていた。 1570年、徳川家康が曳馬城に入城し、浜松城へと改称。 1573年、武田軍を相手とする三方ヶ原の戦いで敗れ、徳川家康公が浜松城に逃げ帰った場所として知られている。
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東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線と東海道新幹線浜松駅の停車駅の一つ。 遠州鉄道の新浜松駅と隣接する。 1888年、鉄道院(のちの鉄道省→日本国有鉄道〈国鉄〉)によって開業。 東海道新幹線の浜松駅構内では地場産業である乗用車やバイク、楽器などが展示されている。
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地場産業
東海道新幹線の浜松駅構内では地場産業である乗用車やバイク、楽器などが展示されている。
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地場産業
東海道新幹線の浜松駅構内では地場産業である乗用車やバイク、楽器などが展示されている。
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地場産業
東海道新幹線の浜松駅構内では地場産業である乗用車やバイク、楽器などが展示されている。
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浜松市内を中心とする観光案内、イベント案内、浜松市内の名物や名産品などの展示、公開を行っている。
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浜名湖名物のうなぎをはじめ、まぐろや天ぷら、丼ものが中心の和食レストラン。
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うな丼定食
浜名湖名物のウナギを使用した「うな丼定食」。 うなぎには赤ワインを使用して蒸したといい、うなぎとの相性が抜群のたれがかかっている。 本場のウナギを堪能でき、店内の窓からは浜松駅前を望むことができる。
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名物ラーメンや餃子、焼きめし、焼きそばなどを販売する中華レストラン。 特にここでおすすめなのが地元の名産品の一つに数えられる浜松餃子。
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浜松餃子
浜松餃子とは東の宇都宮、西の浜松とも言われ、浜松市は一世帯あたりの餃子の消費額が日本一となったことも。 発祥は、昭和30年代に中華人民共和国から帰国して浜松駅周辺で小さな屋台を開いたことが始まり。 浜松餃子は、スパイスなどで味付けされた餃子を円型状に並べて中央に、ゆでもやしを付け合わせる。 具は、白菜やニラなどではなく、キャベツ、豚ひき肉、にんにくが使用されている。
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遠州鉄道(遠鉄)グループの百貨店。 1988年、開業。 2004年、別館「UP-ON」を開店。 2005年、フォルテに「コーチ浜松遠鉄」を開店。 フォルテ跡に新館開業。
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利き茶日本一の茶匠である真茶園八代目・松田当主が厳選した抹茶を使用。 コンセプトは、「お茶を「飲む」から「食べて楽しむ」」。 地元静岡県産の抹茶を使用したラングドシャ。
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浜松駅前にある複合施設群。 外観は、音楽の町・浜松を意識したハーモニカがモチーフ。 アクトシティ浜松ではゾーンがAからDの4つに分かれており、ホール、コングレスセンター、アクトタワー(複合商業ビル)、展示イベントホール、浜松市楽器博物館、研修交流センターで構成。 旧国鉄浜松駅周辺の連続立体交差事業による貨物駅機能の移転(西浜松駅)に伴って開発。 大ホールでは日本で初めてとなる四面舞台を活用したオペラやオーケストラ演奏会のほか各種学会などが行われる。 中ホールではパスカル・コワラン社(フランス)製のパイプオルガンが設置されており、演奏会などのほか、各種学会や入学式なども行われている。
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浜松アクトタワー
高さ212.77m、地上45階建。 ラジオ局やホテルなどがある。
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1995年、全国で唯一の公立の楽器博物館として開館した。 また、東洋最大の楽器博物館としても知られている。 施設内ではアジア・アフリカの楽器の展示の他、明治時代の音楽、浜松の楽器産業の歴史、日本の雅楽などの楽器の展示・公開などを行っている。 研修交流センターでは、大学や音楽院(専門学校)等からの協力により、楽器製造に関する交流、クラシック音楽等に関するセミナーを実施している。