安井道頓・道卜
大阪府大阪市中央区島之内2丁目
南端が堀止になっていた東横堀川と西横堀川。
その二つの川を木津川へ結ぶ開削を開始した。
久宝寺(摂津国住吉郡平野郷)に住む商人の安井成安(通称は市右衛門、後の道頓)が新川奉行に任命。
大坂の陣で道頓が戦死したため、従弟の九兵衛(安井道卜(どうぼく))や安藤藤次(平野藤次)らが引き継ぎ、1615年に完成した。
当初は新堀・南堀川・新川などと呼ばれていたが、大坂城主の松平忠明が道頓の死を追悼し、また、相当な私財が投じられたことや功績を鑑み「道頓堀」と命名した。
「九郎右衛門町」、「宗右衛門町」などの人名のついた各町は安井家出入りの百姓で、この時開発の衝にあったものの名に因んだものであるという。