久坂玄瑞進撃像
山口県萩市江向江戸時代、長州藩に属した尊王攘夷派の中心人物。
幼名は秀三郎。
本名は通武。
通称は玄瑞、実甫、誠、義助。
1840年、萩藩医・久坂良迪、富子の三男として生まれた。
幼少期、高杉晋作も通う私塾の吉松塾で四書の素読を受けた。
藩の医学所・好生館に入学後、藩校・明倫館に入学。
母、兄、父を相次いで亡くしたため、藩医久坂家の当主となった。
医者として頭を剃り、名を玄瑞と改称。
藩の医学所「好生館」の居寮生となった。
1856年、中村道太郎の助言により、九州各地の著名な文人を訪ねるなど遊学。
熊本に住む松陰の親友・宮部鼎蔵の助言により、吉田松陰に手紙を送った。
暫く文通が続き、松下村塾に入塾。