浄春寺
大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-31734年、大分県杵築市生まれ。
幼い頃、影の動きから太陽が動いているのに気づき、独学で天文学・医学を学んだ。
1771年、大阪で医師として活躍する一方、天文学の研究を続け、日食を予言した。
「崇禎暦書」を基盤に研究、望遠鏡・反射鏡などの観測装置を改良、理論を実測で確認するなど、近代的な手法であったと言う。
オランダ製の高倍率グレゴリー式反射望遠鏡を使用して、日本最古の月面観測図を記す。
ケプラーの第3法則を独自に発見。
弟子に高橋至時・山片蟠桃・間重富らがいる。
中井竹山・中井履軒兄弟・三浦梅園とも交流があった。
月のクレーターであるアサダは、麻田剛立の名に由来する。