難波駅周辺のおすすめ史跡情報が掲載されているページです。
小西来山十萬堂跡
1654年、俳人として知られる来山は、平野町の薬種問屋に生まれた。 その後、西山宗因に師事したが、芭蕉に近い境地をひらき、十萬堂に住み多くの名句を残した。 1945年、この建物は戦災で焼失した。
折口信夫 文学碑
歌に志した折口信夫は頭角を現した。 筆名は、釈迢空。 国文学の民俗学的研究にも力を入れ、柳田国男の影響を受けながら各地方を探訪し、風俗習慣の解明につとめた。
難波御蔵 難波新川跡
江戸時代、幕府直轄であった天王寺御蔵と難波御蔵の2つがあった。 難波御蔵は飢饉に際して設けられ、幕府直轄の米蔵が置かれていた。 米蔵八棟は、災害時の救援米貯蔵の役割を担っていた。 1733年、「難波新川」が道頓堀湊町付近から難波御蔵へと流れた。 その後、いたち川へと流れていたが埋め立てられた。
心学明誠舎跡
1729年、石田梅岩を中心に心学が活発となる。 1785年、大坂の明誠舎は、梅岩の孫弟子井上宗甫によって開かれた。 1790年、明誠舎や静安舎、倚衡舎、恭寛舎、敦厚舎が設けられた。 1938年まで当地にあった。
植木屋吉助店跡
1692年、吉助氏は、植木屋を創業。 約3000坪の広大な敷地には、庭園を造営。 初夏の牡丹、晩秋の菊などのために花壇が設けられ、観賞用の座敷や四阿も建てられていたとか。 そのため、遠方からも見物客が訪れ、にぎわっていたとか。 「植木屋吉助」は、和漢の名木を船で各地に発送、江戸でも評判となった。 明治時代、松井吉助氏が植木商を続けていたが、廃業。
心斎橋・難波
大阪市中央区
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