海龍王寺(中金堂)
奈良県奈良市法華寺町897真言律宗の寺院。
本尊は十一面観音。
別名、隅寺、隅院、角寺、角院とも。
710年、平城遷都の際、藤原不比等は土師氏から土地を譲り受け、邸宅を構えた際、北東隅にあった寺院は壊さずに残した。
この寺院が海龍王寺の前身。
不比等の没後、娘の光明皇后が相続し、邸宅は皇后宮となる。
皇后は遣唐留学僧・玄昉が仏法を携え、帰国を願って寺院の伽藍を整備。
734年、玄昉が帰国、聖武天皇・光明皇后は仏教や鎮護国家の基礎となる仏教政策を学んだ玄昉を重用し、内裏に近いこの寺院の住持に任じた。
玄昉が唐からの帰路、暴風雨に遭遇、「海龍王経」を唱えて帰国を果したことに因んで、寺号が海龍王寺となった。